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『こんな事があった』松井良彦監督 18年ぶりの映画制作、変わらない流儀【Director’s Interview Vol.517】

『こんな事があった』松井良彦監督 18年ぶりの映画制作、変わらない流儀【Director’s Interview Vol.517】

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もはや伝説とも言える衝撃作『追悼のざわめき』(88)をはじめ、79年のデビューから監督作は、わずか5本という寡作な映画監督・松井良彦。彼の新作映画『こんな事があった』が、2025年の今年公開される。前作『どこに行くの?』(07)から実に18年ぶりという稀有なタイミングに、前田旺志郎、窪塚愛流という期待の若手2人をはじめ、井浦新、柏原収史、波岡一喜、近藤芳正ら実力派俳優たちが松井監督の下に集った。


舞台は東日本大震災から10年後の福島。原発事故で離ればなれになった家族と青春を奪われた少年たちの姿を、松井監督はスクリーンに刻みつける。18年ぶりの映画制作、松井監督はいかにして『こんな事があった』を作り上げたのか。話を伺った。



『こんな事があった』あらすじ

2021年、夏、福島。17歳のアキラ(前田旺志郎)は、母親を原発事故の被曝で亡くし、原発職員だった父親は罪の意識に苛まれ除染作業員として働きに出、家族はバラバラに。拠りどころを失ったアキラを心配する友人の真一(窪塚愛流)も、深い孤独を抱えていた。ある日、アキラはサーフショップを営む小池夫婦と店員のユウジに出会い、閉ざしていた心を徐々に開いていく。しかし、癒えることのない傷痕が、彼らを静かに蝕んでいく――。


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18年ぶりの映画制作



Q:18年ぶりの映画制作はいかがでしたか。


松井:確かに18年経ちましたが、その間は脚本を書く時間に充てていました。4本ほど書き上げましたが、撮れない時期はどんなにあがいても撮れないもの。「これは映画にするぞ!」という思いが腹の底から湧きあがってきたら、今回のように自腹ででも撮っちゃいます。


僕は兵庫県西宮市に実家があり、阪神・淡路大震災で全壊しました。当時はまず実家の再建をしなければならず、それ自体を映画にすることはできなかったのですが、その後東日本大震災を経験し、これは必ず映画にしなければと思いました。実は震災の10年くらい前から、福島にはよく遊びに行っていたんです。風光明媚なところはいくつもあるし、食べ物は美味しい。さらに人は大らかで優しい。とても居心地が良かったんです。でも震災後は交通網が復旧しないこともあり1年ほど行けなかったのですが、やっと行けた福島は僕が言葉を失うくらいにつらい状況でした。そこで僕はいろんな人に会い、辛い話をたくさん聞いていると、これはもう映画にして世の中に問うしかないと決断しました。



『こんな事があった』©松井良彦/ Yoshihiko Matsui


また、福島が瓦礫の街に化してしまったことで、街に色を感じなかったことが強烈に印象的でした。ふだんなら看板や歩いている人の服装など、街中にはいろんな色が溢れているのですが、瓦礫の街にはそれがない。そういった強烈なイメージも植え付けられたので、今回は白黒で撮ることにしました。


Q:その18年間は映像関係などの仕事をされて、製作費を貯めていたのでしょうか。


松井:本職は映画監督なので、その間は副業で生活していました。この映画の製作費も副業の稼ぎから捻出したものです。「その副業は何か?」とよく聞かれるのですが、それは秘密にしています。もちろん、ちゃんと確定申告できる真っ当な仕事ですよ(笑)。





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