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『こんな事があった』松井良彦監督 18年ぶりの映画制作、変わらない流儀【Director’s Interview Vol.517】

『こんな事があった』松井良彦監督 18年ぶりの映画制作、変わらない流儀【Director’s Interview Vol.517】

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主人公を突き放すラスト



Q:編集も第三者には意見は求めず行われたのでしょうか。


松井:そうですね。編集で映画が決まりますから。特に誰にも見せずに、藍河くんという若いスタッフと僕の二人だけで編集をしました。


で、僕は編集でラストシーンを変えたんです。理由は二つあって、一つは実際に繋げてみると少し劇画っぽくなってしまったこと。もう一つは、僕の映画の録音をずっとやってくれている浦田さんが「松井ちゃんの映画は最後に主人公を突き放すよね」と、昔言っていたのをふと思い出したことです。実際これまでの映画のラストは浦田さんの言うようになっていたのですが、今回はなぜか寄り添っていて自分らしくなかった。それで予定していたラストシーンをバッサリカットしました。試写を観たスタッフとキャストは、初めは驚いていましたが、「この方がいい」と気に入ってくれたようです。


編集の最終日に、急遽行った変更でしたが、二人だけで編集しているおかげでその判断と作業もスムーズにいきましたし、正しかったなと思います。



『こんな事があった』©松井良彦/ Yoshihiko Matsui


Q:次回作の構想はありますか。


松井:あります。『追悼のざわめき』から『どこに行くの?』の間が19年。『どこに行くの?』から『こんな事があった』の間が18年、その間に書いた脚本が10本近くあるんです。その中で今の時代に通用するものを実現したいと思っていますし、新しく書く脚本がそうなるかもしれません。


Q:影響を受けた好きな監督や映画を教えてください。


松井:それはもうたくさんの監督がいらっしゃいますが、実際にお会いして僕に刺激を与えてくれたのは、寺山修司さんと大島渚さんです。そのお二人とはそれなりのお付き合いをさせていただき、寺山さんとは偶然も手伝って7〜8回お会いできて、そのうち2~3回はじっくり話をさせてもらいました。脚本について徹底的に伺いましたね。大島さんからは、現場での監督のスタイルやポリシーについて教えてもらいました。普段の大島さんはおおらかで「バカ野郎!」とは言いません(笑)。僕は、そういう怒りは全部脚本に入れちゃっているんです。お二人の現場にスタッフで入ったことはありませんが、お二人の映画は全て、それも何度となく観ています。その中から選ぶとすれば、寺山さんだったら『 田園に死す』(74)、大島さんだったら『少年』(69)です。僕にとって絶対に忘れることが出来ない映画です。



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監督/脚本:松井良彦

1956年5月6日生まれ、兵庫県出身。75年、石井聰亙監督とともに自主制作映画集団「狂映舎」の設立に参加。石井監督作品のスタッフを務めたのち、79年、『錆びた缶空』で監督デビューし、ぴあ誌主催のオフシアター・フィルム・フェスティヴァル(現PFF)に入賞。続く第二作『豚鶏心中』(81年)では、天井桟敷館で長期ロードショーを果たす。第三作『追悼のざわめき』(88年)は、中野武蔵野ホール(04年閉館)で開館以来の観客動員数を記録。さらに他館を含めて初公開から30年間上映され、07年には、上田現の音楽が加わり、デジタルリマスター版として再び国内外で上映された。第四作『どこに行くの?』(07年)は、第30回モスクワ国際映画祭正式招待作品に選ばれる。そして、18年ぶりの最新作『こんな事があった』が25年9月13日に公開。



取材・文: 香田史生

CINEMOREの編集部員兼ライター。映画のめざめは『グーニーズ』と『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』。最近のお気に入りは、黒澤明や小津安二郎など4Kデジタルリマスターのクラシック作品。


撮影:青木一成




『こんな事があった』

新宿K’s cinemaほか全国順次公開中

配給:イーチタイム

©松井良彦/ Yoshihiko Matsui

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