ヒーロー不在の序章

ちょうどいいのはゴメス自体の大きさだけではない。物語のスケールや密度も、テレビ番組としてほどよくまとめられている。
元々はアメリカの『トワイライト・ゾーン』(59~64)や『アウター・リミッツ』(63~65)に近いSFドラマとして構想されていただけあって、『ウルトラQ』ではまだ光の巨人やわかりやすいヒーローは登場せず、日常の中に突如現れた異物や怪奇現象に対し、等身大の人間たちが知恵や機転、科学技術で事態を収拾していく。
『ゴメスを倒せ!』では、人間が大きく介入せずとも自然に異物が排除され、1話完結の構造ながら不思議な後味を残す。放映終了後に始まる『ウルトラマン』が総天然色でポップかつ派手さもあるのに対し、モノクロの本作には怪しさやミステリアスな雰囲気がより前面に出ていることも特徴だ。
後のシリーズに通じる要素は怪獣だけではなく、出演者にも見ることができる。当時すでにゴジラなどの怪獣シリーズに出演経験のある俳優や、のちの特撮作品で存在感を残す人物が多く顔を見せる中、特に桜井浩子は印象的だ。彼女は『ウルトラマン』で科学特捜隊のフジ・アキコ隊員を演じることになるが、『ウルトラQ』ではフォトグラファー兼記者の江戸川由利子役として、すでに最初期から怪獣と対峙していたのだ。この存在感がシリーズの序章としての色を強めてもいる。
怪獣の造形やサイズ感、日常との距離感、1話完結の物語構造なども含め、後の作品に通じる主要な要素はすでに整っているように感じられる。それまで映画でしか観られなかった怪獣たちをテレビの中で扱うにあたって、怪しく不思議なオムニバス調の手法がよくマッチしている。さらに、ウルトラマンというヒーローを迎える下地さえ、すでに出来ているようだ。
わかりやすいヒーローはまだ不在で、物語の運びも妙に淡々としているからこそ、初回タイトルに「倒せ」という勇ましい言葉が置かれているのではないかとも思える。それまでの怪獣映画の発想で言えば「ゴメス対リトラ」が一番順当な気がする。もっとも、それが通用するのはゴメスがゴジラ級の知名度を持っていればこそだろう(『サンダ対ガイラ』だって急に知らない名前がふたつ並んではいるが)。「倒せ」とついていれば、そいつがどんなやつであれ倒さなければならない脅威だとわかるし、言葉の強さがヒーローの不在を埋めているようにも感じられる。
そもそもゴメスもリトラも、人間によるトンネル工事をきっかけに目覚めた怪獣であり、どちらかが正義、悪という単純な関係ではない。最終的に酸を吐き出してゴメスを倒したリトラは、それがもとで自分も傷ついて絶命する。最初のウルトラ怪獣たちの闘いにははっきりと勝者がいないのである。この不思議な余韻は、仮にウルトラマンが事態を解決した場合よりも、むしろしみじみとした手触りとリアリティを残しているのではないか。こうして『ゴメスを倒せ!』はシリーズの出発点として、視覚的にも物語的にも強い印象を残す1作となっている。
イラスト・文:川原瑞丸
1991年生まれ。イラストレーター。雑誌や書籍の装画・挿絵、絵本など。映画のイラストレビュー等も多数制作中。