メビウスの輪のような構成
Q:脚本から映像になる時点で面白さが増幅されているのではないかと思いますが、意識されていることはありますか。
沖田:僕の場合は脚本を細かく書くので、ともすると脚本に執着しがち。だから、映画を撮りながら「脚本を超えるための何か」を考える癖をつけるようにしています。
脚本を書いている時のインパクトと、俳優さんが持ってきてくれるものをなるべく大事にしながらも、自分のイメージと戦わせてやっています。でも結局、俳優がやるのが一番面白かったりして…、やっぱり難しいですね。脚本はドトールとかで書いているので(笑)、やっぱり現場に入ったら違うなと。現場での面白さを考える癖をつけるようにしていますね。
Q:15歳のさとこが歌舞伎を観に行って寝ているシーンも、たぶん脚本だと「寝ている」と書いてあるだけでしょうが、画になった瞬間にめちゃくちゃ面白い。中村優子さんが窓から覗いているシーンも、脚本上は「窓から覗いている」と書かれているだけなのでしょうが、映像はとんでもなく面白かったです。
沖田:中村さんは面白かったですね。明らかに意図的にあの立ち方をしていましたから、僕も見ていて笑っちゃいました。歌舞伎のシーンの寝方も、部活帰りで疲れている中高生が電車で寝ているときに、よくガーン!とぶつかってるみたいな、あの感じがやりたかったんですけど(笑)。

『さとこはいつも』©2026 「さとこはいつも」製作委員会
Q:吉田羊さんやオダギリジョーさん、筒井道隆さんなど、さとこに書くきっかけを与えるキャラクターたちも魅力的でした。彼らに込めた思いがあれば教えてください。
沖田:吉田羊さん演じる先生が多分一番大きなキーになっています。中井聡子が「書いてみたら」と最初に影響を受ける初期衝動のきっかけであり、感化される象徴みたいにしたくて。有村さんや石田さんのエピソードになっても、ずっと吉田さんの影響が続いているように見えたらいいなと。吉田さんとはそんな話をしましたね。
主人公のそばにいるオダギリさんなどが「書いていいよ」と声をかけてはいますが、影響を受けたり背中を押していくのは、実はそれぞれの“さとこ”たちだったりしている。それが循環して始まりがわからない感じが良いなと。だからよく考えると時系列が変なことになっていて、吉田羊さんが最初に読んでいた本が、実は飯島里子が書いた本だったりする。そうやって誰かが書いたものに影響されてまた何かを書いてと、お互いのさとこに背中を押されてく。そんな不思議なメビウスの輪みたいになっているのが面白いなと思ってやっていました。
Q:メビウスの輪のような構成は、脚本の段階から決めていたのですか。
沖田:脚本の段階からそうしようと思っていました。『ビフォア・ザ・レイン』(94)という映画が同じような構成になっていて、こういう構成で出来たらいいなと。
Q:3人の「さとこ」で時間配分が違っていて、おそらく中学生のさとこが一番長くて、そこから少しずつ尺が減っている印象がありました。そこは意図されていたのでしょうか。
沖田:自然とそういう形になった感覚がありましたが、なんとなくその時間配分でやっていました。「6:5:4」のように少しずつ減っていき、途中からまた前の人が出てきたりする。3つのエピソードを描く話ですが、オムニバス映画のようには見えないようにしたいなと。オムニバス映画だと、「また始まるのか」という気持ちになるじゃないですか(笑)。そうならないのがいいなと思いながら、頑張って作りました。