子どもを描いて、大人を炙り出す
Q:戦前・戦後を描いたという意味において、今年公開された『開戦前夜』と通じるものを感じました。
西川:私は戦争を体験した世代ではないので、体験した世代が描いてきた確度には追いつけない部分があります。戦場の過酷さも被害の辛さも、当事者としての実感がないものを同じ視線では描けませんし、当事者の人たちが作ったものには到底敵わない。
国内外を含め、優れた古い戦争映画を観られる環境はありますが、現代の人が進んで観るかというと、内容的に辛いものも多く手が伸ばしづらいところはある。そういった過去の作品への「ブリッジ」に、新しい作品がなっていく必要があると感じました。『開戦前夜』もそういった要素がきっとあるでしょうし、そうした作品を観ることで、観客の方々がより当事者性の強い作品へアプローチできるようになるかもしれないなと
Q:「女の子が性別を隠して生き抜く」という物語はどのように着想されたのでしょうか。
西川:これまで散々男の人の物語を書いてきたので(笑)、今回は女の子でやってみたいなと。空襲で焼け出された子どもの中には女の子もたくさんいたはずですが、街の写真などを見るとどうしても男の子が多くて、世間にもそういうイメージがある。普通に考えたら男の子で描くのかもしれませんが、色々な資料を調べていくと、女の子は暴力に晒される危険が高いので、女の子だと分からないような汚れた格好をして男の子たちのグループに混ざっていたり、私が取材させていただいた中にも、男の子たちと一緒に行動していたという女性がいました。特定のモデルがいるわけではありませんが、あえて女の子で描くことで、自分にとっても新しい人物の描き方ができるかもしれない。それで今回は選んでみました。

『わたしの知らない子どもたち』©︎2026 K2 Pictures・AOI Pro.
Q:二階堂ふみさん演じる曽根先生の存在も一つの軸になっていました。彼女に込めた思いを教えてください。
西川:最初は子どもたちだけで話を描こうと思ったのですが、彼らは「もの言わぬ存在」です。子どもたちをそうさせてしまった大人側の視点や、大人は彼らをどう捉えていたのか。戦中・戦後で社会が大きく変わってしまう中で、大人たちも同じような不安に呑み込まれ翻弄されていた存在だったとは思います。ただ、そういった状況に子どもたちを巻き込んでしまった大きな責任は、軍部の上層部だけでなく、暮らしている生活者一人一人の中にもあったのだろうなと。曽根先生という女性教師を中心に、「大人たちは何を思い、何を悔やんだか」ということを同時に描かなければと思いました。
Q:教師という職業が影響している部分も大きかったですね。
西川:疎開児童が残した日記や、それについてのエッセイ、小説などを読むと、大人や先生に対する不信感のようなものが綴られているんです。子どもって、やっぱり大人をよく見ているんだなと。先生の言うことや、理由もない暴力を振るうことが、8月15日を境に大きく変わっていったという記述もあり、子どもを描くことは同時に大人の姿を炙り出していくことになるのかもしれない。資料から発見することは多かったですね。