撮った上で何が起こるかを見たい
Q:三池作品を観ていると、監督が好き放題作っているような印象がありますが、実はいろんなオーダーを監督がちゃんと受け止めて、しっかりとその範囲の中で作られているのですね。先日『殺し屋1 4K』の取材で脚本の佐藤佐吉さんにお話を伺った時にそう感じました。
三池:そもそも「自分の世界を作ろう」という欲がまずないんです。海外に行くと「ホラー監督」とか「バイオレンス監督」とか言われますが、それは観る方がホラーやバイオレンスしか見ていないから。僕は子供向けの番組を作ったり、NHKのドキュメンタリードラマを作ったり、もっと言えば教育テレビのアニメーションを作ったりもしています(笑)。ジャンルで分けるというのは、観る側の理屈であり、発信する側にとっての道具に過ぎません。「これはバイオレンス映画ですよ」と言えばバイオレンス好きの方が見てくれるし、ファミリー映画だ、コメディだと言うこともできる。でも、コメディだからといって笑いのシーンばかりではなく、暴力があってもいいわけですよね。現場で作っている我々が、そういったジャンルに縛られる必要はないんです。
自分のお金で作っているのであれば好き放題やりますが、自分は一円も出していないどころか、ギャランティとしてお金をもらっている立場です。職業としてやっているわけで、それなのに「人の言うことを聞かない」なんて最低じゃないですか(笑)。お金を出さずにもらっておいて、「俺はこう思うから、こうやるんだ」と意見を聞かないなんて、おかしな人間ですよね。

『バッド・ルーテナント:トウキョウ』© 2026 BLT TOKYO LIMITED. All Rights Reserved.
撮っているうちに余裕がなくなっていくから、自己主張している暇がないんです。映画監督にはそういった自己主張も必要なのかもしれませんが、自分には「これを撮ってどう思われよう」とかがないんですね。多くの監督が「こういう評価を得たい」と思うのは、本来自分にその才能がないからこそ、あるものとしたいという欲望があるからではないか。だから映画を使って自分を表現しようとする。でも僕の場合は、映画の奴隷みたいな感じになって、現場でワーッと「映画に撮らされている」状態になるんです。いつも無我夢中で我を忘れたように撮っているので、本来の自分でも気付かないような欠点も含めて、いろんなものが隠しようもなくボロボロ出てくる。それが結果的に、なんとなく自分の「統一感がある」という風に見えているのかなと。
撮影をしていると、「このシーンは車が20台必要だけど、まあせいぜい10台だね」というようなことがよくあります。それを打ち破っていけばいいと言う方もいますが、打ち破ったからといってアメリカ映画のようになるわけではない。制作部やプロデューサーと戦って、「10台のところを15台にしたぜ」となったところで誰も嬉しくないんです。むしろ「軽自動車5台でいいから、腕のいいスタントマンを呼んでその5台のアクションを考えよう」と、具体的な制約の中で生まれてくるアイデアもある。
「何かをやりたいから撮る」のではなくて、「撮った上で何が起こるかを見たい」という感覚なんです。撮ってみないと分からない。色々とお仕事をいただけるようになった頃に、ものすごい低予算の企画を真剣な顔で持ってくる方がいたんですよ。「そんな予算じゃ撮れないよ、スタッフのギャラにもならない」と思いつつも、「でも何か撮れるかもしれない、面白いものになるかも」と思ってやってみる。そうすると、そういう環境でしか生まれてこないものが出てきたりするんです。

監督:三池崇史
1960年、大阪府生まれ。米国アカデミー会員。CAA所属。横浜放送映画専門学院(元・日本映画学校)で学び、1991年にビデオ作品で監督デビュー。劇場映画デビューは「新宿黒社会 チャイナ・マフィア戦争」(95)。「スキヤキ・ウエスタン・ジャンゴ」(07)と「十三人の刺客」(10)がヴェネチア国際映画祭、「一命」(11)と「藁の楯」(13)がカンヌ国際映画祭のコンペティション部門に選出され、海外でも高い評価を受けている。
取材・文: 香田史生
CINEMOREの編集部員兼ライター。映画のめざめは『グーニーズ』と『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』。最近のお気に入りは、黒澤明や小津安二郎など4Kデジタルリマスターのクラシック作品。
撮影:青木一成
『バッド・ルーテナント:トウキョウ』
10月23日(金)公開
配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
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