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『太陽を盗んだ男』を放った、ゴジと呼ばれた男【そのとき映画は誕生した Vol.4 後編その2】
最後の死闘
本作で助監督を務めた相米慎二は、当時の山本又一朗について、こう語っている。
「山本さんは映画は『映画を撮るのは監督の仕事だけど、編集権はプロデューサーにある』って、アメリカ型のシステムを作ろうとして勢いのいい時期だったし、(略)それは山本さん流の一つのやり方だったとも言える」(『相米慎二―映画の断章』)
長谷川も、従来の日本映画のシステムを作り変えようとする山本の姿勢は認めていたものの、〈俺は(最終編集権)をあげない〉という姿勢を崩すことはなかった。
山本が参加した時点で最終編集権を主張していたことは、中編でも記したとおりだ。しかし、撮影開始を急ぐあまり、長谷川はこの問題に結論を出さなかった。プールの削除問題と同じく、先送りされた対立が、完成間際になって噴き出したのである。
長谷川が、山本の言い分を説明する。
「俺はプールを切る切らないで編集し直すといってるんじゃない、というわけだな、又は。要は、俺はこの映画がわからないっていうわけだ」(『イメージフォーラム』創刊準備号)
山本が問題にしていたのは、プールの場面だけではなかった。劇中の各所にある、現実か幻想かわからない意図的なはぐらかしが、観客にはわかりにくいというのだ。
以下に『月刊イメージフォーラム』の長谷川の証言をもとに、事態の推移を見てみよう(発言部分は同誌からの引用をもとに構成)。
長谷川はある提案を行う。フィルムを山本に3日間預けるので、満足するまで再編集すればいい、と。
もともと山本には最終編集権を渡す約束があった。さらに、超過した製作費1億円以上を一人で背負う山本を、無下にはできないという思いもあったのだろう。だが、この提案は長谷川にとって、山本との対決を意味した。つまり、現行のディレクターズ・カットではなく、場合によっては山本のプロデューサーズ・カットが、劇場公開されることになる。長谷川版が生き残るか、山本版が生き残るか――『太陽を盗んだ男』のクライマックスにおける城戸と山下の対決に匹敵する死闘の始まりである。
3日後、山本が編集室から出てきた。試写室でプロデューサーズ・カットの上映が始まる。このバージョンが現行版とどう異なっていたのか、詳細は不明だが、長谷川によれば「三日じゃそうそう変りゃせんわな」という内容だったという。
断片的な証言から推測する限り、山本は、わかりにくい箇所を整理し、現実と幻想を区別しやすくしたうえで、説明的なショットを挟み込むなどの編集を行ったようだ。
観終わった長谷川の意見は、「全て、一理はあるが、それは俺の映画では、もうない」というものだった。
長谷川が拒絶すると、山本は反論した。
「冗談じゃないぞ、ゴジ。それじゃ俺は何なんだ。自分がヒットする自信の持てない映画を封切れるか」
「オマエが編集したのより、俺の仕上げたものの方がいいと思うんだ」
「それじゃ、ゴジもダビングし直して仕上げろ、俺もダビングし直して仕上げる。それを東宝に見せてチョイスさせよう」
その言葉に、長谷川は怒りを爆発させる。
「冗談じゃねえぞ、オマエそれで製作者といえるのか。俺とオマエで映画を作ってて、俺とオマエが判断して結論出して、俺らがベストだと思うものを納品するのが映画だろう」
長谷川が激昂したのは、山本の編集バージョンでは、問題となったプルトニウムのプールがカットされていたからだった。東宝が問題視する場面のために再編集するわけではないと言いながら、プールの場面をカットする山本に、長谷川は「いやしいことを考えてると思った」という。東宝に見せれば、プールの場面を削った山本版のほうがよいと判断されるに決まっている。
10時間に及ぶ議論は平行線をたどり、互いに譲らなかった。やがて、長谷川は自分も〈いやしいこと〉を言ってやろうと思いつく。
「ようわかった。オマエが銭のリスクを負ってるんだから、オマエの方がこの映画に関しては力があるんだ。そのかわり、オマエがいうように、もうどうやり直してもいいから、俺を監督のタイトルから外せ」
長谷川自身、捨て身の大勝負に出たことはわかっていた。山本の攻勢はすさまじく、長谷川が映画から自分のクレジットを外せと言えば、山本は本当にそうしかねないほどの勢いだった。だが、ここで山本は憑き物が落ちたようにトーンダウンして、こう告げた。
「俺はオマエを切ったりする気は最初からない。わかった、オマエがいう通りに仕上げてくれ」
ここで山本が譲歩したのは、長谷川の才能に惚れ込み、その企画に乗った以上、長谷川の名前がない『太陽を盗んだ男』は考えられなかったからだろう。
最後の死闘が終わり、山本が去ろうとしたところで、同席していた現場プロデューサーの伊地智啓が叫んだ。
「しかし、東宝との問題はどうするんだ」
そう、東宝からの納品拒否問題は何も解決していない。だが、山本は落ち着いた声で、こう言ったという。
「僕がゴジに好きにやってくれっていったんだから、そんなことは僕が責任をもちます。東宝にはこのままプールがはいってる形で通します。その責任は僕がもちます」
作品を守るため、東宝との交渉は自分が全面的に引き受ける――山本の覚悟は、長谷川も感じるところがあった。
事実、これが自分たちの最終版であるとして山本は東宝に納品し、それを貫き通したのだ。現在、われわれが目にする『太陽を盗んだ男』は、長谷川和彦と山本又一朗が死闘を繰り広げた末、双方が最終的に受け入れた形で東宝に納品されたものだ。
なお、このゴタゴタを利用して、長谷川は「ダビングし直して仕上げろ」という山本の言葉に乗じることにした。ラストロールのみダビングをやり直すことを決めたのだ。プルトニウムのプール場面に変更を加えるためではない。ラストカットに、最初は付けていなかった効果音を足したかったからだ。それは原爆が爆発する音だった。