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『太陽を盗んだ男』を放った、ゴジと呼ばれた男【そのとき映画は誕生した Vol.4 後編その2】

©1979 TOHO CO., LTD. / Tristone Entertainment, Inc.

『太陽を盗んだ男』を放った、ゴジと呼ばれた男【そのとき映画は誕生した Vol.4 後編その2】

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未知なる映画へ



 『太陽を盗んだ男』の興行が不振に終わった理由について、長谷川は宣伝の失敗を挙げている。時は角川映画の全盛期である。製作費以上の宣伝費を投じ、TVスポットを大量投入してマスヒステリーを作り出す角川映画方式に比べると、『太陽を盗んだ男』の宣伝は旧態依然としたものだった。


 公開後、長谷川はある仮説を立てたことがある。角川映画が本作の宣伝を行っていれば、どんな売り方をしただろうか。ヒットしたのか、しなかったのか――。


 本作の2か月後に公開された角川映画『戦国自衛隊』(79)は、「歴史は俺たちになにをさせようとしているのか?」をキャッチコピーに大宣伝を繰り広げていたが、これくらい大げさな惹句のほうが、奇想天外な大作にはふさわしい。なお、宣伝費は『太陽を盗んだ男』の2.5倍にあたる3億円である。


 それに比べると、ジュリーが濡れたシャツでアスファルトに横たわるポスターを前面に出した『太陽を盗んだ男』は、作品の内容やスケールが伝わりにくい。惹句も「日本でも原爆を作った男がいた!」だけでは説明的で、『戦国自衛隊』のように観客の想像力を刺激するには至らなかった。この映画には何かあるのではないかと思わせる幻想が、宣伝には欠けていたのだ。


 

公開当時の新聞広告(著者蔵)


 もうひとつ、角川映画のように頻繁に現場取材をさせて、新聞、雑誌で記事にさせることを怠ったことも長谷川にとっては反省材料だった。撮影期間も長く、いつ来ても沢田か文太がいるのだから、いくらでも記事にできる機会があったはずだが、そうしなかったのは、音楽業界から出てきたキティ・フィルムとは、宣伝に対する考え方も異なっていたからだ。井上陽水も小椋佳も露出しないことで売ってきたキティは、現場を見せない方向で売ろうとした。


 やはり、記事なりテレビで紹介されなければ映画の存在感は出せない。本作の撮影中に記者を集めて撮影風景を見せて会見を行ったのは、わずか2回。クライマックスの科学技術館の撮影でも記者を集めたものの、撮影時間を確保するため、早々に関係者以外はシャットアウトしてしまった。それでは大きな記事にならない。


 長谷川も、撮影前はいつでも取材が入ってかまわないと言っていたが、撮影に入るとそれどころではなくなってしまった。取材時間を短縮するよう求めるばかりで宣伝を気にかけなかったことを、興行の失敗で痛感することになった。


 そこで、次回作からは自分もプロデューサーとして製作に名を連ね、リスクを背負うことを長谷川は決意した。最終編集権の問題も含め、プロデューサーとして撮影から宣伝に至るまで采配を振ることが、自分の映画作りには必要だと考えたのだ。


 実際、『太陽を盗んだ男』の撮影システムは、長谷川には不満だらけだった。当初は『青春の殺人者』と同じく合宿形式で撮影したいと希望していたが、プロデューサー側からは、都内ロケの映画を合宿で撮るのは不経済きわまりないと却下された。


 長谷川の合宿撮影構想とは、次のようなものだった。


「四ヶ月間、家へ帰らないでもいい、ということでないと、この組にはついてくれるなと、帰しまへん、と。帰るとね、もう完全ダメになるんだよ。(略)うちで寝るだろ、3時間も寝ないで、また起きて行くわけだよ。こんな眠いのに、なんで起きなきゃいけないのと、やっぱり思うわな。合宿でやってりゃ、ワッサワッサだからさ、もうなんか、しゃーないわけだよ」(『イメージフォーラム』創刊準備号)


 言っていることが、ほとんどブラック企業経営者のそれだが、長谷川は同じ誌面で、キティ・フィルムが本作の撮影において、23時以降に撮影が終わったスタッフ全員を、タクシーで自宅まで送る方針を取っていたことにも苦言を呈している。「11時過ぎたら、20台ぐらいざぁーとタクシーが(引用者注:日活撮影所前に)並んでいるわけだよね、毎晩。しかも、いつ終わるかわかんないから、10時から待ってるわけだよ。下手したら朝の4時まで待ってるわけだよね。これ全部、銭払うわけだからさ。俺なら、そういうことは、やっぱりしなかった。俺がプロデューサーならね」


 しかし、合宿形式でスタッフを現場に縛りつけたところで、僻地ならともかく、都内ならいくらでも抜け出すことができる。そもそも、それで撮影の効率が上がるのだろうか。


 何より、これらの発言からは、自分の演出スタイルを改めようとする気配がまるで感じられない。タクシーでスタッフを送らずに済む時間に撮影を終え、睡眠時間を確保するという発想は、長谷川にはなかったのだ。


 こうした姿と対照的なのが、本作に制作として参加していた黒沢清が監督になってからの仕事の進め方だ。「映画というのは撮影現場だけで作るものではありません。次の日に備えた準備や体力回復のための時間は、ものづくりの上で必要なこと。なので、できる限り撮影時間をコンパクトに抑えて、個人の時間を設けられるようにしています」(『Fika』)と語るところからもわかるように、映画作りに対する考え方は長谷川とは対照的である。長谷川を反面教師にすることで、黒沢は撮れない長谷川に代わって映画を撮り続けているかのようでもある。


 長谷川に話をもどせば、『太陽を盗んだ男』公開直後から、監督主体のカンパニー形式で今後は映画製作を行いたいと話していた。それを実現させたのが、1982年に設立されたディレクターズ・カンパニー(ディレカン)だった。参加メンバーは、相米慎二、根岸吉太郎、高橋伴明、井筒和幸、大森一樹、池田敏春、石井聰亙、黒沢清らである。


 誰もが、ディレカンは前述したような長谷川の方法論で、自分のやりたいかたちで映画を作るための会社だと思ったが、長谷川は自分以外の監督たちに映画を撮らせることを優先した。実際、黒沢もディレカンから監督として一本立ちすることになる。


 一方、長谷川は常に新作を準備していたものの、ついに1本も劇映画を撮ることがないまま、ディレカンは潰れた。


 『太陽を盗んだ男』の公開時点で、来年には水谷豊主演で『グッバイ・ニッポン』という『青春の殺人者』の延長上にある映画を撮ると予告していた。


「この国がいやなら出ちゃえばいいじゃないかという話をやりたいと思っているんだ。気張らずに日本を飛び出して、さまよえるオランダ人ではないけれど、さまよえる日本人だね。スイートな旅ではなくズタズタになりながら旅してそれでアイディンティティの如きものが見つかるかどうか……というものを考えてみたい」(『キネマ旬報』79年10月下旬号)


 さらにその次には、この時点で『連合赤軍』を撮りたいと展望を語っていたが、次回作が実現することはなかった。各時代において、〈長谷川和彦監督第3作〉は何度も予告されたものの、いつの間にか消えてしまうのが常だった。


 なぜ、長谷川和彦に次回作がないのか――半世紀近くにわたって繰り返し問われてきたが、『太陽を盗んだ男』の製作過程をここまで見てくれば、理由は想像できるはずだ。


 村上龍が脚本を何本書いても納得せず、レナード・シュレイダーが優れたアイデアを用意しても、さらに飛躍した脚本にできるまで悪戦苦闘し、撮影現場でも脚本を超える何かを求め続けた長谷川の映画作り。それは、既存の映画を超える何かを求め続けることで臨界点に達し、核分裂のような連鎖反応から未知なる映画を生み出そうとするかのようだった。最期まで映画化を模索していた『連合赤軍』も、上映時間6時間を想定した、奇想天外な冒険映画になるはずだった。


 考えてみれば、『青春の殺人者』『太陽を盗んだ男』という、数十本分の映画に匹敵する熱量を持つ映画を2本も見せてくれたのだから、それ以上を望むのは贅沢だったのかもしれない。それでも、次回作が観たかったと、いつまでも言いたくなる映画監督――それが長谷川和彦である。


【参考文献】

『笑う原爆』脚本(レナード・シュレイダー、長谷川和彦 著)

『日本対俺』脚本(レナード・シュレイダー、長谷川和彦 著)

『プルトニウムラブ』脚本(レナード・シュレイダー、長谷川和彦 著)

『日本を盗んだ男』脚本(レナード・シュレイダー、長谷川和彦 著)

『太陽を盗んだ男』脚本(レナード・シュレイダー、長谷川和彦 著)

『空と一緒の朝』脚本(村上龍 著)

『太陽を盗んだ男』劇場プログラム

『太陽を盗んだ男』DVDブックレット


『長谷川和彦 革命的映画術』(A PEOPLE)

『映画の荒野を走れ プロデューサー始末半世紀』(伊地智啓 著、上野昻志・木村建哉 編、インスクリプト)

『映画プロデューサー入門』(桝井省志 編、東京藝術大学出版会)

『ザ・メッセージ  ウジウジするな でっかく生きろ』(山本又一朗 著、徳間書店)

『超メッセージ 個性派宣言』(加藤仁 著、プレジデント社)

『相米慎二――映画の断章』(古東久人 編、芳賀書店)

『甦る相米慎二』(木村建哉、中村秀之、藤井仁子 編、インスクリプト)

『シネアスト 相米慎二』(キネマ旬報社)

『照明技師 熊谷秀夫 降る影 待つ光』(熊谷秀夫・長谷川隆 著、キネマ旬報社)

『音が語る、日本映画の黄金時代 映画録音技師の撮影現場60年』(紅谷愃一 著、河出書房新社)

『日本映画のサウンドデザイン』(紅谷愃一 著、小島一彦 監修、誠文堂新光社)

『黒沢清の映画術』(黒沢清 著、新潮社)

『映画愛[監督篇]』(武藤起一 編、大栄出版)

『僕たちはこうして映画監督になった 8ミリ映画時代を語る』(小中和哉 著、文藝春秋)」

『村上龍全エッセイ 1976-1981』(村上龍 著、講談社)

『すべての男は消耗品である。vol.3』(村上龍 著、KKベストセラーズ)

『データ・バンクにっぽん人:53人がみずから語る「身上調書」のすべて』(佐藤正弥 編、現代書林)

『我が名はジュリー』(沢田研二 著、中央公論社)

『地獄の観光船』(小林信彦 著、集英社)

『コラムは踊る』(小林信彦 著、ちくま文庫)

『新しい映画づくりの旗手たち』(田山力哉 著、ダヴィッド社)

『「ゴジラ」東宝特撮未発表資料アーカイヴ プロデューサー・田中友幸とその時代』(木原浩勝 清水俊文 中村哲 編、角川書店)

『ホームメイド原爆 : 原爆を設計した学生の手記』(ジョン・アリストートル・フィリップス デービッド・マイケリス 著、アンヴィエル)

『定本ストーンズ・ジェネレーション』(宝島社)

『かい人21面相の時代―1976-1988』(毎日新聞出版)

『朝日新聞』『読売新聞』『報知新聞』『スポーツニッポン』『東京中日スポーツ』『キネマ旬報』『月刊イメージフォーラム』『シナリオ』『映画芸術』『映画評論』『映画撮影』『録音』『映画照明』『新評』『Mr.ACTION!』『平凡パンチ』『週刊平凡』『明星』『週刊明星』『GORO』『週刊プレイボーイ』『週刊サンケイ』『週刊現代』『週刊読売』『サンデー毎日』『週刊文春』『FLASH』『セブンティーン』『NEWS WEEK』『文藝春秋』

『Fika』


前編はこちらから

中編はこちらから

後編その1はこちらから



文:吉田伊知郎(モルモット吉田)

1978年生。映画評論家。『映画秘宝』『キネマ旬報』『映画芸術』等に執筆。著書に『映画評論・入門!』(洋泉社)、『映画監督 大島渚の戦い』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、共著に『映画監督、北野武。』(フィルムアート社)ほか



『太陽を盗んだ男/4Kデジタルリマスター』

大ヒット上映中

配給:東宝

©1979 TOHO CO., LTD. / Tristone Entertainment, Inc.

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