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『レット・イット・ビー』ザ・ビートルズ終末期の光と影を図らずも焼きつけた哀愁のドキュメンタリー

(c)Photofest / Getty Images

『レット・イット・ビー』ザ・ビートルズ終末期の光と影を図らずも焼きつけた哀愁のドキュメンタリー

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映画でたどるバンドの軌跡



 中高年の世代や洋楽好きならたいていビートルズを知っているだろうが、若い世代ではバンドの名前も曲も聞いたことがない、という人がいるかもしれない。そこで、本題の『レット・イット・ビー』に入る前に、彼らが出演した作品や伝記ドラマなど、映画をからめてその活動の歴史を手短に紹介したい。


【デビュー前夜】

 ザ・ビートルズは1962年10月にレコードデビューした英国リバプール出身の4人組、ジョン・レノン(ボーカル、ギター)、ポール・マッカートニー(ボーカル、ベース)、ジョージ・ハリスン(ギター、ボーカル)、リンゴ・スター(ドラム、ボーカル)からなるバンド。4人の生年は1940~43年なので、二十歳前後でプロデビューしたことになる。そのうちリンゴを除く3人は十代半ばで知り合い、音楽活動を開始。リンゴが加入する前、スチュアート・サトクリフ(ベース)、ピート・ベスト(ドラム)という別のメンバーがいた。このデビュー前の時期は、2本の伝記映画『バック・ビート』(94)と『ノーウェアボーイ ひとりぼっちのあいつ』(09)で描かれている。


『ノーウェアボーイ ひとりぼっちのあいつ』予告


【初期】

 当時まだ珍しかった自作自演のバンドスタイルから奏でられる、ロックンロールを基調としたビートとキャッチーなメロディ、歌を盛り立てる個性的なコーラスなどにより、No.1シングルを連発。まず本国イギリスで、次いで欧州や米国など世界にファンを広げていった。最初の主演作『ア・ハード・デイズ・ナイト』(リチャード・レスター監督、64年。日本公開時の邦題は『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』)は一応ドラマ仕立ての白黒映画だが、本人役で登場する4人が街中で女性ファンの集団に追われ、コンサートやテレビ出演で演奏を披露し、客席で絶叫するファンの姿もとらえるなど、彼らの爆発的な人気を伝えるセミドキュメンタリーの趣もある。


『ア・ハード・デイズ・ナイト』予告


【中前期】

 この頃のビートルズは各国をめぐるツアーを精力的にこなし、世界的な人気を確立。そのさなかの1965年に、リチャード・レスター監督が再びメガホンをとった主演第2作『ヘルプ!』(邦題『ヘルプ!4人はアイドル』)が公開される。こちらは007シリーズのようなスパイアクションのパロディで、リンゴの指輪がカルト教国に狙われたことから、メンバーがロンドン、アルプスの雪山、バハマのビーチを駆けまわり、果ては戦車が登場するシーンまである。


 なお音楽的には、ポールのギター弾き語りに弦楽四重奏の伴奏だけという「イエスタデイ」や、ジョンが手がけたフォークロック調の曲にジョージがシタールを加えた「ノーウェジアン・ウッド」など、従来のロックのジャンルにとらわれない楽曲制作を本格化させていった時期でもある。


 2016年には、多忙を極めた当時のコンサートツアー映像を中心に、ポールやリンゴのインタビューも加えて構成したドキュメンタリー『ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK』(ロン・ハワード監督)が公開された。


『ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK』予告


【中後期】

 過密スケジュールに忙殺され、また観客の絶叫によって自らの歌や演奏すら聴き取れないステージにも嫌気がさし、ビートルズは1966年にコンサート活動を停止。生演奏で再現する制約から解放されたことで、1人でいくつもの楽器を弾いて多重録音したり(特にポール)、ストリングスやインド楽器(ジョージの趣味)を追加したり、テープを逆回転させたり歌声をエフェクトで歪ませたりと、さまざまなスタジオレコーディングのテクニックを駆使して楽曲の完成度と多様性を高めていった。


 1967年には最高傑作との呼び声も高いアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』をリリース。当時の文化的潮流だったサイケデリックアートやドラッグカルチャーの影響も受け、ポールの発案で脚本なしの行き当たりばったりで撮影したテレビ映画『マジカル・ミステリー・ツアー』(67)、ボイスオーバーと楽曲提供で参加したアニメ映画『イエロー・サブマリン』(68)が公開された。


『イエロー・サブマリン』予告


【終末期・その1】

 4人はそれぞれ音楽家として成長し個性を伸ばした反面、アレンジやレコーディングで対立することが増えていった。さらに、デビュー前からマネージャーとしてバンドを支えたブライアン・エプスタインの死や、自ら設立した音楽出版関連会社アップル・コアの経営を巡る問題なども加わり、メンバー間の不和が深刻化していく。ここで再びポールが映像をからめたプロジェクトを発案。新しいアルバムのレコーディング風景を撮影し、終盤のハイライトとして聴衆の前でコンサートを開くという企画だった。



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