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『ボヘミアン・ラプソディ』「伝説」となったクイーンの、2回のターニングポイントとは!?

© 2018 Twentieth Century Fox

『ボヘミアン・ラプソディ』「伝説」となったクイーンの、2回のターニングポイントとは!?

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『ボヘミアン・ラプソディ』あらすじ

伝説のバンド<クイーン>。その生き様が世界を変えた、感動の物語。ワンフレーズを耳にすれば思わず心が躍りだす名曲で、世界中を魅了する伝説のバンド<クイーン>。そのリード・ヴォーカルにして、史上最高のエンターテイナーと讃えられたフレディ・マーキュリーの生き様を映し出すミュージック・エンターテイメントが誕生!世間の常識を打ち破る革新的な音楽を次々と生み出し、スターダムを一気に駆け上がったフレディと仲間たち。今なお語り継がれる劇的なパフォーマンスを披露した彼らの華やかな活躍の裏には、誰も知らないストーリがあった……。


Index


6分近い異例の長さのシングルカットを、PVも後押し



 1971年に結成され、1991年、ボーカルのフレディ・マーキュリーの死去で実質上の活動を終えた、イギリスのロックバンド、 クイーン。しかしその名曲の数々は現在も、映画やCM、さらにスポーツの大会でも耳にするほどで、まったく輝きを失っていない。まさに伝説のバンドである。


 映画『ボヘミアン・ラプソディ』では、そのクイーンの軌跡を描くが、彼らの歴史でも重要な2つの瞬間を克明に再現する。ひとつ目は、タイトルにもなった名曲「ボヘミアン・ラプソディ」の誕生だ。


「ボヘミアン・ラプソディ」PV


 シングル「キラー・クイーン」の世界的大ヒットにより、揺るぎない人気を確立しつつあったクイーンが、4枚目のアルバム制作にとりかかったのは1975年4月、他国とは比べものにならない熱狂的な歓迎を受けた日本公演の直後だった。この4枚目のアルバム「オペラ座の夜」は、クイーンのファンに愛されただけでなく、歴史的名盤となるのだが、その中核をなす曲が「ボヘミアン・ラプソディ」である。


「キラー・クイーン」


 フレディ・マーキュリーが「オペラを取り入れたい」と発想したこの曲は、当初、3つのセクションに独立していた曲がひとつにまとめられ、180回におよぶオーバーダビングに3週間が費やされた。そして6分近くもある、文字どおりの大作が完成された。シングルとして発売するには長いが、フレディは短縮することを断固として拒否。発売前にロンドンのキャピタル・ラジオが2日間で14回流したことで、人気に火がつく。


 さらに当時としては珍しかったPV(プロモーション・ビデオ)も、「ボヘミアン・ラプソディ」では制作された。暗闇に浮かび上がるメンバー4人の顔は、マレーネ・デートリッヒの『上海特急』(32年)の有名な写真を意識したライティングで撮影(前年に発売されたアルバム「クイーンⅡ」のジャケットで、すでに同じ写真を模倣している)。このデートリッヒの写真は、今回の映画でもフレディの自宅シーンで象徴的に登場する。



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