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『イージー・ライダー』ハイウェイを自由に旅する、ピーター・フォンダ、デニス・ホッパー、ジャック・ニコルソンに思いを馳せて

(c)Photofest / Getty Images

『イージー・ライダー』ハイウェイを自由に旅する、ピーター・フォンダ、デニス・ホッパー、ジャック・ニコルソンに思いを馳せて

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アメリカン・ニューシネマ時代のロードムービー



 アメリカの映画史に残る作品の中で『イージー・ライダー』ほど、つかみどころがない作品も珍しいかもしれない。ハリウッドが世に送り出した名作の数々はストーリーラインのはっきりした映画が多く、それゆえに年月を経ても内容が分かりやすい。しかし、『イージー・ライダー』はそうした万人の共感を誘うような作品ではないからだ(特にLSDの幻覚を描いた場面などは、ドラッグ文化がない日本人には感覚がつかみにくい)。主人公はふたりの若者(ピーター・フォンダ、デニス・ホッパー)で、ドラッグの取引で大金を手にいれた彼らはバイクに乗ってアメリカを旅をする。


 ふたりは途中で酔いどれ弁護士(ジャック・ニコルソン)と知り合い、一緒に旅を続けるが、弁護士は彼らを敵対視する人々に殺されてしまう。その後、ふたりはニューオリンズを訪ね、娼婦たち(カレン・ブラックとトニー・バジル)と一緒にニューオリンズのマルディグラの祭も見るが、最後は思わぬ悲劇に襲われる。


 この作品は69年という時代の空気を映し出した作品でもある。撮影が行われたのは68年で、アメリカでは当時、べトナム戦争が激化し、若い兵士たちが戦場に駆り出され、その命を失った。国内では反戦運動が盛り上がり、これまでの社会の価値観に疑問を唱える声が次々とあがる。あえて社会をドロップアウトして、愛と平和を重んじるヒッピーたちも現われた。


 そのひとつの記念碑的なイベントとなったのが、69年のニューヨーク郊外、ウッドストックで行われたロック・フェスティバルだ。さらに学生運動、公民権運動、女性解放運動、性の解放なども高まりを見せ、アメリカの古い価値観に揺さぶりがかけられた。


 当時の若者が求めていたのは“自由”と“解放”。『イージー・ライダー』の気ままに旅する主人公たちは、そんな時代の気分を代弁するものと考えられた。



『イージー・ライダー』(c)1969 COLUMBIA PICTURES INDUSTRIES, INC. ALL RIGHTS RESERVED.s


 ふたりの主人公の名前は、西部劇の伝説のヒーロー、ワイアット・アープとビリー・ザ・キッドから名前をとられていて、馬のかわりにバイクにまたがることで、60年代後半の混沌としたアメリカの再発見を試みる。大地に根をはやして生きる人々に出会ったり、ヒッピーのコミューンを訪ねたり、ふたりの旅は最初は楽観的なものに思える。


 しかし、そんな旅人たちを心快く思わない保守的な人間もいる。劇中、酔いどれ弁護士は、主人公たちにこんなセリフを言う。「彼らが恐れているのは君たちそのものじゃない。君たちが体現しているもの、つまり、自由が怖いんだよ」


 やがて、彼らはその自由の代償を支払うことになる。後半は、舞台となるアメリカ南部の保守性が映し出された作品にもなっていた。


 『イージー・ライダー』はアメリカン・ニューシネマ時代を代弁する1本でもある。67年に『俺たちに明日はない』が公開され、「タイム」誌でこの映画の特集が組まれた時から、“ニューシネマ”という言葉が使われるようになった。その後のニューシネマの代表作『真夜中のカーボーイ』(69)はアカデミー作品賞も受賞。こうした作品群では社会の底辺で生きる等身大のアウトサイダーたちがリアルに描かれ、見る者に大きな衝撃を残した(最後に予期せぬ死が訪れる映画が多かった)。そこには当時のアメリカの影の部分が託されていたせいだろう。



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