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『ダーティハリー』時代が求めたハリー・キャラハンの過剰な暴力

(c)Getty Images

『ダーティハリー』時代が求めたハリー・キャラハンの過剰な暴力

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ハリー・キャラハンはハンター(狩人)だ



 『ダーティハリー』シリーズのハリー・キャラハン刑事のキャラクターについて、『ダーティハリー2』の脚本を手掛けたジョン・ミリアスは「彼はハンター(狩人)だ」と説明している。


 「ハリー・キャラハンはアウトサイダーなんだ。だから周囲から孤立している。誰とも深入りせず、一人暮らしで、冷蔵庫の中も殺風景。あるのはビールくらいさ。彼は余計なものは持たない。なぜなら、ハンターだからだ。彼の人生は“狩り”をすることの中にある。それで充分なんだよ。だからキャラハンは44マグナムを持ち歩いている。44マグナムは、狩猟のために設計された銃だからね。彼は警察バッジと銃を携えて、“狩り”に出掛けているのさ」とインタビューで述懐している。


 マシンガンのように銃弾を乱射するのではなく、44マグナムには1発で仕留められるという視覚的なインパクトと簡潔さがある。ヘビー級のボクサーがノックアウトで相手を倒すことにも似た明快さを、あの重く響き渡る銃声は導いているのだ。



『ダーティハリー』(c) 2019 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved.


 1960年代のアメリカでは、人権に対する社会問題が顕在化したという背景がある。黒人たちの社会的な地位向上を訴えた公民権運動はその代表だが、犯罪者に対する警察権力の均衡に対しても世論が変化した時代だった。クリント・イーストウッドは「70年代は犯罪被害者の立場が顧みられない時代だったため、キャラハン刑事の行動は物議を醸した」とインタビューで述懐している。「当時のマスコミは被疑者の人権を声高に擁護していたんだ。でも同時に、社会的な不安も高まっていて、被疑者の権利ばかり擁護する報道姿勢に対して疑問視する声も生まれていたんだよ。“もっと犠牲者のことを考えよう”とね」。


 『ダーティハリー』には、スコルピオを名乗る連続殺人犯が登場する。彼は1968年から1974年にかけて起こった未解決事件、“ゾディアック事件”の犯人がモデルとなっている(デヴィッド・フィンチャーが監督した『ゾディアック』(07)の題材)。スコルピオは無差別に市民をライフルで狙撃し、市警察に身代金を要求。市民を恐怖に陥れるのだ。映画後半では、スコルピオを追い詰めたキャラハン刑事が、逮捕時にミランダ警告(権利の読み上げ)を怠り、怒りに任せて銃撃した負傷箇所を足で踏みつけるなどの過剰な暴力行為を働く。結果、スコルピオを釈放させてしまうのだ。


『ゾディアック』予告


 ここでは殺された被害者の側でなく、被疑者であるスコルピオの権利が重視されることに対する異議が描かれている。キャラハン刑事は正義を守るためには法を無視する男だ。観客は善悪の良し悪しを理解しているからこそ、より自分たちの身の周りに近い物事の判断基準で良し悪しを決定する。その時、観客にとってキャラハンは「正義」なのだ。だから観客はキャラハンを応援する。


 しかし法律家、例えば、裁判官や弁護士、検察官は正義よりも法を重視する人たちだ。二つの異なる判断基準による見解から、当然のごとく論争が起こる。『ダーティハリー』で法を遵守しなかったキャラハン刑事の立場が危うくなってくるのは、当時の社会では被疑者の権利が重視されていたからに他ならない。



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