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『ゾディアック』フィンチャー史上最も「静」の作品ににじむ、表現者の信念
『ゾディアック』あらすじ
“ゾディアック”と名乗る連続殺人犯と、その事件の解決に挑む者たち。「殺人」と「真実の究明」という全く逆の立場にいる人間たちが、謎が謎を呼ぶ事件を巡り、次第にその運命を狂わされていく・・・。
Index
- 暴力的なフィンチャー作品中、異質な「凪」の映画
- フィンチャー自ら、事件を一から調べ直した
- ソダーバーグの助言を経てたどり着いた「新しさ」
- 複数のスタジオを渡り歩いて理想のキャストを実現
- 「カタルシスの拒否」から生まれる現実味
暴力的なフィンチャー作品中、異質な「凪」の映画
ソリッドな映像と、容赦ないストーリー。色調を抑えたダークな質感。「撮り直しの鬼」と言われる細部へのこだわり。観る者にショック状態に近い強烈な印象を刻みつけながらも、娯楽性も感じさせるバランス感覚。デヴィッド・フィンチャー監督は、当代きっての辣腕クリエイターだ。
ILMのアニメーターからキャリアを始めたフィンチャーは、ミュージックビデオの監督へと転身し、CMも数多く手掛けるように。唯一無二の映像センスを買われて『エイリアン3』(92)で映画監督デビュー。しかし作品の評価は芳しくなく、本人の中でも「黒歴史」となってしまった。だが、映画史に残る『セブン』(95)で一発大逆転。その後も『ゲーム』(97)、『ファイト・クラブ』(99)、『パニック・ルーム』(02)とコンスタントに優れたサスペンスを作り続け、世界的なヒットメーカーへと上り詰めた。
それまではおおよそ2年に1本のペースで新作を発表してきたフィンチャー監督が、『パニック・ルーム』から5年という歳月をかけて作り上げたのが、史実に挑んだ『ゾディアック』(07)だ。この映画は、彼のキャリアの中でもかなり異質な雰囲気を醸し出している。
『ゾディアック』予告
従来のフィンチャー監督の作品では、「暴力」が重要なキーワードだった。『ファイト・クラブ』では自由の象徴として、『パニック・ルーム』では恐怖を植え付けるギミックとして、ドラスティックに暴力が描かれた。しかしこの『ゾディアック』という作品で描かれる暴力は、徹底的に「凪」だ。
1968年から1974年にかけて、アメリカを恐怖に陥れた殺人鬼ゾディアック。新聞社に暗号文や証拠品を送り付けるなど、劇場型の犯人であり、『ダーティハリー』(71)に出てくるキャラクターのモデルともいわれている(『ゾディアック』の劇中にも上映シーンが登場)。恐るべき点は、少なくとも5人以上を殺害し、これほど世の中に衝撃を与えながら、現在も未解決だということ(真犯人に関しては諸説あり)。そんな題材とフィンチャー監督がかけ合わされば、『セブン』よりもエグ味が強まり、『ゲーム』よりも悪夢度が進んだ作品になることは、想像に難くない。
事実、日本公開時の宣伝文句は「『セブン』、『ファイト・クラブ』の監督が放つ究極の犯罪スリラー!」「その暗号を解いてはいけない」「“ゾディアックを追ってはいけない” 追えばあなたも必ず嵌まる」だ。ゾディアック事件を深く知っている者はともかく、当時の映画ファンの期待がどういうものだったのか、宣伝側の思惑はどんなものだったのかは、これらを見れば大体把握できる。
だが、フィンチャー監督はそれらの「意向」に沿わなかった。158分(劇場公開時)もの長時間にわたって描かれるのは、これまでのスリリングかつ過激でキレの良いサスペンスではなく、不快なほど静かな絶望の物語。ゾディアックの正体を突き止めようとする漫画家・刑事・記者の人生が蝕まれていく姿を、冷徹なほど丹念に描き出している。べっとりと身体に絡みつくような徒労感にまみれた展開に、「いつものフィンチャー」を期待した観客は少なからず驚かされたのではないか。