意外な初プロデュース作、そして『パラノーマル』との出会い
この男、ジェイソン・ブラムについて深く知るには、二つの作品を探訪する必要がある。
まずは、ブラムが大学卒業後に初めてプロデュースした作品『彼女と僕のいた場所』(95・未公開)。これは巧みなコメディを生み出すことで知られるノア・バームバックの初監督作でもある。実は彼ら、ニューヨーク州のヴァッサー大学時代のルームメイトでもあり、その頃からの腐れ縁なのか、彼らのキャンパスライフを題材にした本作において、一度きりのコラボを果たしているのだ。
この時、ブラムは資金集めに苦慮した挙句、家族ぐるみの付き合いのあったスティーヴ・マーティンに脚本を読んでもらい、彼からの推薦文をゲット。その文面を添えた脚本のコピーをハリウッド中の関係者に送りつけて注目を浴びることで、なんとか予算獲得にこぎつけたのだとか。この頃からすでに、人脈の広さと行動の大胆さが際立っていたことがうかがえる。
だが、彼が決定的なブレイクスルーを迎えるには、もう一本の作品との出会いを待たねばならない。それがインディペンデント・ホラー『パラノーマル・アクティビティ』(07)である。
この作品は、もともとオーレン・ペリ監督が自宅を使って撮り上げた自主制作映画だった。ビデオカメラで撮影し、登場する俳優も全くの無名。映画を彩るトリックも最小限のもの。まずはこの「初号版」を映画祭で上映したり、業界内にサンプル配布しながら配給権やリメイク権の売り込みを開始するのだが、これをいち早く視聴し、ダイヤの原石であるのを見抜いた者こそ、ジェイソン・ブラムだった。
彼はすぐさま行動を起こす。フットワーク軽くオーレン・ペリに接近し、一緒にこの「初号版」を再編集して商品価値を高めようと提案。彼はペリを激励しながら作品をブラッシュアップさせ、有名映画祭へ応募したり、ハリウッドの首脳陣に送るなどして、根気強く可能性の糸を垂らし続ける。
しばらくして、これに食いついたのが、スピルバーグ率いるドリームワークス。初めはリメイクするつもりでいたようだが、テスト試写会で観客の反応をチェックしてみるとオリジナルのままでも十分な反応が得られ、これは下手にリメイクするよりも素材を丸ごと生かした方が良さそうだという結論に至る(ただし、ラストシーンだけはスピルバーグのアドバイスに従って変更されたらしい)。
こうして、ペリとブラムが二人三脚で底辺から這い上がってきた本作は、いざ劇場公開を迎えると「社会現象」とも言われるほどの大ヒットを記録。制作費1万5千ドルながら、最終的に全世界で2億ドル以上の興収を叩きだす快挙を遂げる。この作品世界を創造したオーレン・ペリに天賦の才能があったのは間違いないが、それだけで成功を収めるのは不可能だった。常に彼を励ましてきたジェイソン・ブラムの優れた嗅覚と行動力あってこそ、かくも映画史に刻まれるほどの下克上を成し遂げることができたのだ。