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『ブレードランナー2049』人間とレプリカント、真の人間はどちらか!?SFの裏に隠れたテーマ ※注!ネタバレ含みます。

『ブレードランナー2049』人間とレプリカント、真の人間はどちらか!?SFの裏に隠れたテーマ ※注!ネタバレ含みます。


ルトガー・ハウアーがレプリカントに与えた“詩情”



 『ブレードランナー2049』における「デッカードは人間かレプリカントか」問題はここでは脇に置く(筆者は100%、デッカード=レプリカント説に同意するが)。考察してみたいのは、『ブレードランナー2049』がオリジナルの『ブレードランナー』が内包していた「レプリカントのアイデンティティ問題」、もっと平たく言えば「レプリカントの人権問題」にさらに踏み込んだ作品だ、ということである。




 『ブレードランナー』でもレプリカントは人間から「スキン・ジョブ」という蔑称で呼ばれ、あらかじめ4年という寿命を設定され、苛酷な環境での危険な労働に従事させられる被差別民として描かれる。そして自分たちに生きる権利はないのかと、寿命の設定を解除するために脱走する。彼らは生存本能に基づいて反乱を起こすのだ。


 しかし『ブレードランナー』のクライマックスで、ルトガー・ハウアー演じたレプリカント、ロイ・バッティは死の前に自作の詩を朗読する。あの詩は脚本にはなく撮影直前にハウアーから提案されたものだという。ハウアーのアイデアによって追加された“詩情を愛するレプリカント”という属性は、作品世界を膨らませる意味でも非常に重要な要素になっていく。


 『ブレードランナー2049』では、もはやレプリカントと人間を区別する手段は右目に刻印されたシリアルナンバーだけになっている。前作から30年の間に、旧型のレプリカントは禁止され、より感情的に安定して人間に絶対服従する新型だけが法的に許されているのである。廃棄処分を逃れた旧型たちは地下に潜伏し、反政府勢力すら組織する。彼らはひとたび“自我”に目覚めた以上、人間として扱われたい。少なくとも自分たちを“物”として貶められたくないと望んでいるのだ。


天才撮影監督の作ったビジュアルの秘密に迫る!


 反政府勢力のリーダー格のレプリカント・フレイザにこんなセリフがある。「大義のために死ぬことが、もっと人間的な行為」だと。しかしわれわれ人間は、この言葉に埋めることのできない違和感を感じざるを得ない。なぜなら「大義のために死ぬ」のは立派な行為かも知れないが、我欲のために他人を貶めたり、大義のためではなく自分だけのために生きるのもまた、人間的な行為であると身に染みてわかっているからだ。


 スピンオフ短編『2048 ノーウェア・トゥ・ラン』には、レプリカントのサッパー(デイヴ・バウティスタ)がグレアム・グリーンの小説『権力と栄光』を人間の少女に勧めるシーンがある。『権力と栄光』は、江戸時代に日本にやってきた宣教師の苦難を描いた遠藤周作の小説『沈黙』(マーティン・スコセッシ監督が2016年に映画化)のインスピレーションとなった作品として知られ、サッパーも「追われる司祭が人間である意味を問う物語だ」と説明している。廃棄されるべき旧型レプリカントとして追われる身であるサッパーが、堕落した司祭が倫理的な正しさとは何かを問われる『権力と栄光』の物語に自分を重ね合わせていたことは間違いないだろう。




 つまりレプリカントたちは、心底から「より善い存在でありたい」と願っているのだ。“自我”や“大義”を達成するためには“我欲”を捨てるべきだと考えているとも言える。グレーゾーンの中で生きている人間たちと比べて、レプリカントははるかにピュアな理想主義者たちだと言えるのではないか。



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