2017.11.14
“善き人”でありたいと願うレプリカントたちの物語(『ブレードランナー2049』のネタバレを含みます)
“レイチェル”が旧約聖書創世記の“ラケル”になぞらえられていることが示唆された以上、Kが恋人であるジョイに名付けられる“ジョー”という名前も、ユダヤの民を率いる存在となる“ヨセフ”に由来していると考えていい(ジョーはヨセフの英語読みであるジョセフの愛称だ)。しかしKは大義や天命に殉じるよりも、自らの行動や運命を自分で決めようという自由意志を選ぶ。Kが選んだ道もまた善意に基づいているが、論理から飛躍して感情に身を委ねている。この時点でKは初めてレプリカントの限界から脱し、より人間に近づいたのかも知れない。
しかしながら、思考や思想は人間よりも単純かも知れないが、“より善い存在”であろうとしている他のレプリカントたちが人間よりも劣っていると言えるだろうか?
スピンオフ短編の第一弾となった『ブラックアウト 2022』に、レプリカントに同情的な人間の若者レンが登場することも興味深い。レンは人間でありながら人間よりもレプリカントに価値を認め、レプリカントの大停電テロに協力する。レンは人間に対して「自分勝手で嘘つきで愚かな生き物」だと絶望しており、レプリカントが「純粋で完璧」だからと肩入れするのだ。もっとも渡辺信一郎監督は、レンが一種の「“二次元キャラ”しか愛せないタイプ」だとも発言しているが。
『ブレードランナー ブラックアウト 2022』
しかし『ブレードランナー2049』で最もエモーショナルなキャラクターは、おそらく最も“二次元キャラ”に近いジョイであろう。ジョイはAIのみで実体を持たない恋人用の簡易レプリカントで、「ブレードランナー」世界では珍しく同じタイプが大量生産されている廉価版商品だ。しかしジョイはKに愛情を注ぎ、Kのためなら自分のシステムを危険にさらすことも厭わない。持ち主を愛するようにプログラムされているにせよ、ジョイは情熱でもって観客の心を揺らすヒロイン足り得ているのである。
『ブレードランナー2049』
もはや『ブレードランナー2049』では、レプリカントと人間の差異は問題にされていない。“善き人でありたい”という心を持った者こそが人間的なのではないか、というナイーヴだが普遍的な問いかけの物語なのだ。もはや自己保身に生きる人間たちではなく、K、ジョイ、ラヴといったレプリカントばかりが物語の中心にいることも、テーマを追求する上では必然だっただろう。
ハヤカワ文庫版『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の解説で翻訳者の朝倉久志氏は、原作者のフィリップ・K・ディックのコメントを引いて、ディックにとっての人間らしさの拠り所は「感情移入」と「親切心」なのだと指摘している。『2049』において、人間らしさの可能性を託せるのはもはやレプリカントたちしかいない。ディックの原作から大きく飛躍したのがオリジナルの『ブレードランナー』なら、『ブレードランナー2049』はぐるりと回ってディックの精神に立ち返ったのかも知れない。