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『リトル・ジョー』その花が開くとき、幸せの概念が消失する――妖しきアートホラー

『リトル・ジョー』その花が開くとき、幸せの概念が消失する――妖しきアートホラー

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花の存在が掻き立てる、他者を理解できない「怖さ」



 それでは、ここからは本作の物語面について、いくつかのトピックで考えていこう。それは「“異変”の不気味さ」「タイトルが象徴する母親像」「“幸せ”とは何か?」だ。


 冒頭、『リトル・ジョー』をホラーと述べたが、どういう部分が「怖い」のか? その1つといえるのが、“異変”の描き方だ。世話をしてもらう代わりに、幸せ成分を分泌するという花“リトル・ジョー”は、花粉を吸った者の精神に影響を及ぼす。ベラは「不稔性(子孫を作れない)ように設計したから、生き延びるために人を支配する」とおびえるが、リトル・ジョーが本当にそういう悪影響を及ぼしている証拠はない。ベラ自身、精神障害を抱えており、同僚からは軽くあしらわれてしまう。


 ただ、花と関わった人間に何らかの異変が生じた「ように見える」展開が続いていくだけ。モニター調査では「妻がいきなり優しくなった。まるで別人だ」などという感想が出るが、研究者たちは深く取り合うことはない。アリス自身、息子ジョーの変化に違和感を覚えるが、本人や周囲からは「思春期なら普通」と言われてしまう。原因はリトル・ジョーなのか? そうではないのか? あえて曖昧にぼかしたまま、本作は観客の心をかき乱していく。




 自分の目の前にいる人の“中身”が変わってしまった、という設定は侵略もののSF映画的で、ぞっとするざらつきを心に擦り付けてくるが、同時に「主人公の妄想かもしれない」という解釈の余地を残しているのも、実に老獪だ。


 作劇の手法で「信用できない語り手」というものがある(語り手は観客にウソをつかない、という前提を打ち崩すもの)が、『リトル・ジョー』の主人公アリスにもその気がある。冒頭から幾度もカウンセリングのシーンが挿入されるのも意味深で、さらに規定違反を犯すなど、観客がアリス自身に絶対的な信頼を寄せることができないように、人物像に細かな棘をちりばめている。この仕掛けが、作品の全容をさらに不定形なものにしていき、「何を信じればいいのか?」と悩まされてしまうだろう。


 ハウスナー監督は、「私たち人間には、“奇妙なモノ”が突然生まれ、親しんでいたはずの人が突然、別人に思える。身近だと感じていたものほど遠く離れてしまうことがあります。本作は、人の中に存在するその“奇妙なモノ”の比喩といえるでしょう」と語っている。確かに、日常の中でいきなり知人から距離を置かれてしまい、こっちには理由がわからず困惑する……ということは往々にしてあるものだ。SNS等も含めれば、日常茶飯事。人と人の絆の不確かさ、他者に対する「分からない」怖さが、『リトル・ジョー』の中にはべったりと塗りこめられている。



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