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『ディック・ロングはなぜ死んだのか?』コメディをあえて文学的手法で描く意図とは?

『ディック・ロングはなぜ死んだのか?』コメディをあえて文学的手法で描く意図とは?

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『スイス・アーミー・マン』より継続する作家性



 本作を理解する助けとなる作品は、まだある。A24の配給作品『スイス・アーミー・マン』(16)は、本作のダニエル・シャイナート監督が、脚本・監督を務めている映画だ。


 無人島に流れ着いた男が、島から脱出できずに絶望していると、ある死体に出会う。死体の尻からは大量のガスが噴出しており、主人公は死体に乗ると、ガスの力でモーターボートのように島を脱出する。他にも、主人公の喉が乾くと、死体の口から大量の水が出てくるなど、この死体はまさにスイス・アーミー・ナイフのように万能な存在であることに気づくのだ。この映画は、死体をおもちゃにするような不謹慎この上ない内容なのである。




 日本でも、「らくだ」、「粗忽長屋」、「黄金餅」などの落語の演目において、人の死や死体をユーモアとして扱うものがある。このような作品の面白いところは、葬式のような場所で言ったギャグが、笑ってはいけないシチュエーションだからこそじわじわと笑いがこみ上げてくるような、一種タブーを利用した不謹慎な楽しさが存在しているところだ。


 しかし、この奇妙な映画『スイス・アーミー・マン』には、もうひとつ描こうとしているものがある。いくら便利とはいえ、死体をいろんな用途に利用するのはもちろん、死体と会話したり、友情を深めていく主人公の姿は、多くの人々の価値観から外れた奇妙なものであり、劇中、ある登場人物がつぶやくように、「気持ち悪い」存在だといえよう。自分は人に好かれるはずのない“キモい”人間なのだ、という主人公の悲痛な思いや苦しみが、ここでの死体との交流によって描かれていたのである。


 『ディック・ロングはなぜ死んだのか?』で描かれた事件の真相もまた、多くの人間には理解できないような出来事である。ジークたちは、自分が世間の価値観から外れた趣味を持っていることを負い目に思っている。彼らがディックの死因を必死に隠すのは、そうしなければアメリカ南部の保守的な環境のなかで、家庭を持って生きていくことができないという判断があったためだろう。


 

 もちろん、結果的に人が死ぬことになり、その責任から逃れようとする彼らの隠蔽行為には同情したくなるような余地は少ない。それが本作のように犯罪に関係していれば、もちろん法に照らして裁かれる必要があるだろう。しかし同時に、彼らがある種のマイノリティであり、そのことを知られたくない一心で右往左往する姿には、滑稽さと同時に悲哀を感じるのは確かである。


 それは、彼らと同様、われわれ観客の側も、ひとつやふたつ、他人に言えないような秘密や価値観を持っていたり、かつて持っていた経験があるからなのではないだろうか。そこに違法性が全くないとしても、こんな趣味を持っていたら気味悪がられるのではないか、仲間外れにされてしまうのではないかという恐怖から、誰にも言えずにいるという心理。ダニエル・シャイナート監督が描くのは、このような異端者の不安であり、誰にでも異端的な部分があるのではないかという、観客に対する問いなのだ。



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