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『マディソン郡の橋』クリント・イーストウッド的エッセンスに満ちた、大人のラブ・ロマンス

『マディソン郡の橋』クリント・イーストウッド的エッセンスに満ちた、大人のラブ・ロマンス

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「観察する者」と「観察される者」の反転



 映画がフランチェスカの視点になることで、キンケイドことイーストウッドは常に観察される対象として描かれる。…まあ正確には、フランチェスカ視点ではないシーンも少なからずあるのだが。


 ローズマン・ブリッジのトンネルの隙間から覗き見されたり、庭で身体を洗う姿をガン見されたり(それによって、フランチェスカのリビドーは掻き立てられるばかりナリ!)。キンケイドはカメラマンという設定なので、むしろ彼が「観察する」立場にあるはずなのだが、この映画では「観察する者」と「観察される者」が反転している。


 もう少しメタ視点からこの『マディソン郡の橋』を語るなら、監督を務めるイーストウッドは映画全体を「観察する者」であり、主演女優のフランチェスカことメリル・ストリープは「観察される者」のハズ。つまりこの映画は、作品全体を統括する「観察する者」(=映画監督)が、映画のなかでも「観察する者」(=カメラマン)としての役割を与えられているものの、実際には「観察される者」として機能するという、こんがらがった構造になっているのだ。

 


 クリント・イーストウッドはいつだって、正体不明のアウトローであり、神出鬼没のカウボーイでなくてはならない。我々は、フランチェスカの視点を借りてその正体に迫ろうとするも、その手が身体に触れた瞬間に彼の姿は煙のように消え失せ、世界のどこかへと身を隠してしまう。それはまるで、『荒野のストレンジャー』(73)の流れ者のように、『ペイルライダー』(85)の謎の牧師のように。


 『マディソン郡の橋』は、クリント・イーストウッド的エッセンスに満ちた、大人のラブ・ロマンスなのだ。



文: 竹島ルイ

ヒットガールに蹴られたい、ポップカルチャー系ライター。WEBマガジン「 POP MASTER」主宰。



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The Bridges of Madison Country © 1995, Package Design & Supplementary Material Compilation © 2008 Warner Bros. Entertainment Inc. Distributed by Warner Home Video. All rights reserved.

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