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『ダーティハリー』時代が求めたハリー・キャラハンの過剰な暴力

(c)Getty Images

『ダーティハリー』時代が求めたハリー・キャラハンの過剰な暴力

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刑事アクション映画の夜明け、1971年



 第44回アカデミー賞で作品賞に輝いたのは、ウィリアム・フリードキン監督の『フレンチ・コネクション』(71)だった。アメリカ東海岸のニューヨーク市警薬物対策課の刑事たちが、麻薬密輸組織の黒幕を追い詰める姿を描いたこの映画は、フランスから密輸された40キロもの麻薬を押収したという実話をモデルにしている。


 組織壊滅に執念を燃やし、容疑者を検挙するためなら強引な捜査も厭わないというドイル刑事を演じたジーン・ハックマンは、アカデミー主演男優賞に輝き、脚色賞、監督賞、編集賞の5部門を制した。1972年のことである。



 同じ頃、アメリカ西海岸のサンフランシスコを舞台にした刑事ドラマがアメリカで上映され、議論を呼んでいる。犯罪者に対する執念から捜査手段を選ばないという非情な姿勢がトレードマークとなった、サンフランシスコ市警殺人課の刑事ハリー・キャラハンを主人公にした映画『ダーティハリー』(71)である。


 主演のクリント・イーストウッドにとって当たり役となったこの映画はシリーズ化され、『ダーティハリー2』(73)、『ダーティハリー3』(76)、『ダーティハリー4』(83)、『ダーティハリー5』(88)の5作が製作されている(2019年現在)。アメリカでの劇場公開は、『フレンチ・コネクション』が1971年10月7日、『ダーティハリー』が1971年12月23日。この2作のヒットがきっかけとなって、ハリウッドにおける刑事アクション映画の量産を導いたことに対する異論は見当たらない。


 当初、ハリー・キャラハン刑事役にはフランク・シナトラが想定されていたと言われている。当時のシナトラは、ゴードン・ダグラス監督とのコンビで、『刑事』(68)や『トニー・ローム/殺しの追跡』(67)、その続編となる『セメントの女』(68)といった刑事モノや探偵モノに主演していた時期だった(ちなみにロデリック・ソープによる『刑事』の原作小説には続編「Nothing Lasts Forever」があり、これが後に『ダイ・ハード』(88)として映画化された)。



 シナトラが降板した後、ジョン・ウェインの元へもオファーが来たと伝えられている。西部劇のスターだったジョン・ウェインにとって、『ダーティハリー』が現代劇であること、そして(当時としては)過激な描写があることが辞退の理由に挙げられている。西部劇というジャンル自体が斜陽になった時代、西部劇スターであるジョン・ウェインが西部劇である『勇気ある追跡』(69)によって念願のアカデミー主演男優賞を受賞したばかりの時期だっただけに、尚更だったのだろう。


 ところが、『ダーティハリー』が興行的に成功しただけでなく、社会的にも話題となったことを悔やんだのか、ジョン・ウェインは『マックQ』(74)や『ブラニガン』(75)という現代を舞台にした刑事アクション映画に主演。遺作となった西部劇『ラスト・シューティスト』(76)では、『ダーティハリー』のドン・シーゲル監督と組んでいる。


 『マックQ』や『ブラニガン』をはじめ、『マシンガン・パニック』(73)や『破壊!』(74)、『フリービーとビーン/大乱戦』(74)、そして、『フレンチ・コネクション』でジーン・ハックマンの相棒を演じたロイ・シャイダーが主演し、同作の番外編的要素もある『重犯罪特捜班/ザ・セブン・アップス』(73)など、型破りな刑事や捜査官たちの活躍を描いたアクション映画が1970年代に量産された。その背景には、1971年に『フレンチ・コネクション』と『ダーティハリー』の2本が人気を呼び、高く評価されたことが挙げられるのだ。



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