ベトナム帰還兵のPTSDを忍ばせた犯人像
もうひとつ、『ダーティハリー』には先見性がある。それはスコルピオの足元に象徴された、あるものが示している。先述通り、1960年代から1970年代にかけてアメリカはベトナム戦争に関与していたが、1970年代には戦況が泥沼化していた。ベトナム帰還兵による反戦運動は1960年代末から行われていたものの、映画の世界において反戦的な内容の作品が製作されるようになったのは1970年代後半になってからだった。
例えば、『グリーン・ベレー』(68)は、主演のジョン・ウェインがアメリカ国内の厭戦観や反戦に対するアンチテーゼとして製作した映画だった。ベトナム帰還兵の姿が映画の中で(エキストラの類ではなく)印象的に登場するのは、1976年に公開された『タクシードライバー』や『ローリング・サンダー』(77)あたりから。
『タクシードライバー』予告
1978年には、ジェーン・フォンダとジョン・ヴォイトがアカデミー賞で主演女優賞と主演男優賞に輝いた『帰郷』が公開。この頃になってやっと、ハリウッド映画でベトナム帰還兵の問題やベトナム戦争自体が真正面から描かれるようになったという経緯がある。『ランボー』(82)や『プラトーン』(86)の登場は、まだ先の時代なのだ。
そのような映画史的な流れがある中で、『ダーティハリー』はベトナム帰還兵の問題についても言及している。映画の中で明言はされていないものの、スコルピオがベトナム帰還兵であることを仄めかしているのだ。そのモチーフとなっているのが、スコルピオの履いているブーツ。アメリカ軍に納入している老舗メーカー、コーコランのジャンプブーツなのだが、これは当時の陸軍で落下傘部隊が使用していたものなのだ。つまり、スコルピオを帰還兵だと匂わせることで、ベトナム戦争によるPTSDが凶行に関係しているのではないかという可能性を示唆しているのである。
『ダーティハリー』(c) 2019 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved.
ある社会的な問題を直接描くことが忌避されていた時代、例えば「赤狩り」時代の作品のように、ハリウッドの映画人たちはメタファーとなるモチーフを用いることで、間接的に問題へ言及するという演出を施してきた歴史がある。そして、ある作品をきっかけに忌避を超えてブレイクスルーを果たすのだ。
『ダーティハリー』の続編として1973年に製作された『ダーティハリー2』では、犯罪者に対して私的制裁を加える白バイ隊員とハリー・キャラハン刑事の闘いが描かれている。この脚本を執筆したのは、前出のジョン・ミリアスともうひとり、マイケル・チミノだった。
『ダーティハリー2』予告
『ダーティハリー2』の脚本が認められたチミノは、1974年にクリント・イーストウッド主演の『サンダーボルト』で初監督を果たす。そして次回作となったのが、ベトナム戦争やベトナム帰還兵を題材にして第51回アカデミー賞で作品賞に輝いた『ディア・ハンター』(78)だった。奇しくも『ダーティハリー』に込めたベトナム帰還兵の問題は、イーストウッドに見出されたマイケル・チミノ監督によって、ハリウッド映画で初めて本格的に描かれることになったのである。
【出典】
Box Office Mojo
https://www.boxofficemojo.com/movies/?id=frenchconnection.htm
https://www.boxofficemojo.com/movies/?id=dirtyharry.htm
ミランダVSアリゾナ州事件
https://www.csamerican.com/SC.asp?r=384+U.S.+436
文:松崎健夫
映画評論家 東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻修了。テレビ・映画の撮影現場を経て、映画専門の執筆業に転向。『ぷらすと』『japanぐる〜ヴ』などテレビ・ラジオ・ネット配信番組に出演中。『キネマ旬報』、『ELLE』、映画の劇場用パンフレットなどに多数寄稿。現在、キネマ旬報ベスト・テン選考委員、ELLEシネマ大賞、田辺・弁慶映画祭、京都国際映画祭クリエイターズ・ファクトリー部門の審査員を務めている。共著『現代映画用語事典』(キネマ旬報社)ほか。
『ダーティハリー』
ブルーレイ ¥2,381+税/DVD特別版 ¥1,429 +税
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