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『ロミオ+ジュリエット』いまこそ観るべき「分断」の物語

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『ロミオ+ジュリエット』いまこそ観るべき「分断」の物語

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いまこそ観たい、まさに“現代劇”



 “ロミジュリ”はラブ・ストーリーの代表的な一本に数えられるが、やはり本質的な部分は「分断」がもたらす悲劇だろう。「恋は盲目」とはよくいうが、二人の──とくにロミオのそれは、あからさま。自身の命を顧みず、ジュリエットに一目会わんとする態度から見て取れる。しかし注目するべきなのは、両家の「分断」によって、彼が“そうしなければならない”ことなのだ。


 敵対するキャピュレット家とはいえ、ロミオからすれば愛するジュリエットの家族である。両家の間にどんな遺恨が横たわっているにせよ、愛する人への想いは裂けない。彼は一人で歩み寄ろうとする。しかし、代々受け継がれてきた分断の溝は、そう簡単には埋まらない。周囲の者たちが許さない。いまの私たちの社会でもそうだ。人種や性別、いたるところにある“差異”が「分断」を生む。


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 ところがそれが、ほんの些細なものでしかないという気づきは、当事者たちからある程度の距離を取った者たちにしか得られないのだろうか。どこに視座を置くかによっては、「“きのこの山”と“たけのこの里”のどっちが優位にあるか?」という素朴な議論と同じくらいにくだらないこともある。しかしそうやって亀裂は生じ、大きくなり、やがて争いへと発展する。現在においても、これは日常茶飯事だ。


 そもそも、それぞれが異なる固有の価値観を持つ私たちが真に交わることは容易ではない。水平線に隔てられた、青い海と青い空と同じこと。近しいように見えても、どこまでいっても完全に交わることはない。空の色が黒に変わり、稲光を放てば、たちまち海面はうねり、しぶきを上げることになる──これはしょうがないことなのだ。であれば、“調和”を願うべきなのだと思う。本家の“ロミジュリ”と同じく、本作も若い男女の死によって、両家が調和の道を歩み始めることになるが、それは犠牲の上に成り立つ進歩だ。その進歩と、若い男女の命とでは、どちらが重いのだろう──。


 本作は、この事の顛末を報道番組が放映し、それを観客が目にする作りとなっている。日々、分断から生まれる悲劇は繰り返されているが、私たちの多くはその傍観者でしかない。この“現代劇化”した演出によって、私たちがいま直面している問題をより浮き彫りにしているように思えてならない。本作はいまこそ観るべきエンターテインメントだ。



文: 折田侑駿  

文筆家。1990年生まれ。主な守備範囲は、映画、演劇、俳優、文学、服飾、酒場など。映画の劇場パンフレットなどに多数寄稿のほか、映画トーク番組「活弁シネマ倶楽部」ではMCを務めている。敬愛する監督は増村保造、ダグラス・サーク。



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