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ここではない何処かへ――レスリー・チャン演じるヨディは、なぜ南の楽園を夢見るのか?『欲望の翼』※注!映画のラストに触れています。

ここではない何処かへ――レスリー・チャン演じるヨディは、なぜ南の楽園を夢見るのか?『欲望の翼』※注!映画のラストに触れています。


楽園を目指して飛び続ける鳥は、レスリー・チャンの生き方そのものの象徴となった



 レスリー・チャンが主役として大きなボリュームを受けることで、タイトルの「阿飛正傳」には違うニュアンスが帯びることになった。中華圏に住む人にとってはあまりにもなじみのある小説、そう、魯迅の有名な小説「阿Q正伝」とタイトルが似ているのである。「阿Q正伝」は1921~22年にわたって、新聞『晨報』に連載されていたもので、阿Qは自分の現状を直視せず、だがプライドだけは人一倍高い男として描かれる。


 レスリーが『欲望の翼』で演じるヨディは阿Qのような見すぼらしく愚かな人間ではないが、日々、何もせず、周囲の人間を小ばかにしたような高い自尊心の持ち主という点では共通する。


 ウォン・カーウァイも、そして恋人役で出演したマギー・チャンもカリーナ・ラウも、ヨディはレスリー・チャンのキャラクターそのものだという。美しくて、気高くて、猫の様に周囲の人間を優雅に振り回す。


 ヨディが映画の冒頭で語るのはテネシー・ウィリアムスの「地獄のオルフェウス」からの一片。


脚のない鳥がいるらしい。

脚のない鳥は飛び続け、疲れたら風の中で眠り、

そして生涯でただ一度地面に降りる。

-それが最期の時。


 『欲望の翼』におけるレスリー・チャンの美しさにたいしては、誰も異存がないだろう。


 母親の愛情を求める駄々っ子のような青年は、目の前に美しい女性がいると、声をかけずにはいられない。そうやって自分の懐にグイっと引き寄せながら、彼女が自分の腕の中に入り込んでしまうと、哀しくも彼は、その温もりだけでは満たされないのだ。30代なのにひげもすね毛もなく、どこもかしこも滑々としていて、するりと手をすり抜けていくような男。




 ウォン・カーウァイは飛べない鳥にマレー諸島やニューギニアに生息する極彩色の風鳥のイメージを重ねていたというが、レスリー自身、香港のエンタメ界で他の追随を許さないマジカルなアーティストへと変貌していく。年齢を重ねるごとに、その美貌にけれんみや危うさを増していき、ときにライブでは赤いハイヒールで妖しく踊る姿も披露した。表現を極めていくと、デビット・ボウイやマドンナ、レディー・ガガのように性の境界線など飛び越えて、独自の領域へと突入していくが、レスリーはそれを香港ならびアジアで最も早い段階で、先鋭的に具現化したアーティストだったと言える。


 だが、ローカルの観客全てが彼のよき理解者だったかというと、そうともいえない。狭い香港では赤裸々なゴシップ報道が盛んで、いわれない噂話すら新聞に掲載することがある。


 『欲望の翼』が製作される1990年の前年には、ある歌手とのライバル関係を喧伝されることに嫌気をさし、一度引退宣言をし、カナダに移住もした。1997年の香港返還後もカナダでの隠遁生活を送っている。


 だが、彼が姿を消す度に、ファンはその不在を嘆き、やがては熱烈なオファーを受けて復帰する。その繰り返しの中、90年代の彼はウォン・カーウァイとの『楽園の瑕』『ブエノスアイレス』、中国のチェン・カイコーとの『覇王別姫』『花の影』と国際的にも評価を得る作品で、アジア圏を代表する俳優の地位まで上り詰める。


 次に彼が取り組むべきミッションとして選んだのが映画監督である。ポルノ業界の裏側を描いた香港、イー・トンシンの1996年の作品『夢翔る人/色情男女』では落ち目の映画監督を演じ、劇中で流れる映画パートはレスリー自身が監督した。自身の長編映画への意気込みは強く、脚本もスタッフ体制もそろっていたようだ。


 レスリーとは1993年の武侠映画『キラーウルフ 白髪魔女伝』で組んで以来、強い信頼関係にあった衣装デザイナーのワダエミは彼の監督作の衣装デザインをオファーされ、実際、何度か打ち合わせをしたことを明かしている。その時に訪れた彼の部屋が美術館の様にあまりにも隙のない美しい空間で、その几帳面な性格を案じて、「レスリー、映画作りは計画通りにいかないことの連続だから、あなたの部屋やこの机ももっといろんなアイディアで汚れたり、乱れたりしてもいいのよ。私は散々汚れた部屋でディレクターたちと打ち合わせしてきたんだから、私が来るときは片づけなくていいのよ」とアドバイスしたと聞いたことがある。その言葉を彼は黙って微笑みながら聞いていたという。


 2000年を越えたあたりから、彼は精神のバランスを崩し、鬱病に悩んでいたという。だが、マスコミに治療を受けていることを知られるのを危惧し、定期的に通院できなかったことをマネージャーは後に深い後悔と共に告白している。オスの風鳥、別名、極楽鳥がメスの目を引き付けるために、もっと鮮やかに、さらに美しくと進化したように、レスリーも美しい鳥として飛び続ける人生を進み続けるしかなかったのか。2003年4月1日、行きつけの高級ホテルから身を投げて、突然の急逝。その理由は今もはっきりとはせず、多くの謎が残る。


 映画史を振り返ると、あまりにも美しいがために、この世にいることよりもこちらの世界にいる方がいいと、まるで映画の神によって選ばれ、作品の中に永遠に封じ込められてしまったように感じる俳優が何人もいる。『欲望の翼』の香港タイトルと同じ、『理由なき反抗』のジェームス・ディーンのように。レスリーもまた、その系譜の人であるからこそ、俳優としての飛躍となった『欲望の翼』は永遠に光り輝く。



文: 金原由佳(きんばら・ゆか)

映画ジャーナリスト。「キネマ旬報」「装苑」「ケトル」「母の友」など多くの媒体で執筆中。著書に映画における少女性と暴力性について考察した『ブロークン・ガール』(フィルムアート社)がある。『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)、『アジア映画の森 新世紀の映画地図』(作品社)などにも寄稿。ロングインタビュー・構成を担当した『アクターズ・ファイル 妻夫木聡』、『アクターズ・ファイル永瀬正敏』(共にキネマ旬報社)、『伝説の映画美術監督たち×種田陽平』(スペースシャワネットワーク)などがある。



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作品情報を見る


『欲望の翼』

(c) 1990 East Asia Films Distribution Limited and eSun.com Limited.  All Rights Reserved.

配給:ハーク

2018年2月3日(土) Bunkamuraル・シネマほか全国順次公開

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