2021.02.22
西部劇だからこそ響く「どう生きるか?」という問いかけ
かくも本作のメインを張る主人公たちの描写は、マンゴールドがかつて感銘を受けたオリジナル版を遥かに超えるクオリティに達している。なおかつ、彼らの抱える「どう生きるか」という葛藤は、見方を変えると我々にとって極めて普遍的、今日的なものとして響いてくるではないか。
仮にこういったテーマを現代劇の中で描くと、そこには等身大の人間の生々しさばかりが浮かび上がり、受け止め方によってはかなり重苦しく、説教じみたものとなりかねない。ここでそうならなかったのは、ひとえに本作が現代的なリアルから一定の距離を隔てた「西部劇」だからであろう。
『3時10分、決断のとき』(c)Photofest / Getty Images
「もし人間の葛藤を描くなら、我々が生きる世界とは無縁の場所に舞台を据えた方がうまくいくし、面白くなる」とはマンゴールドの弁。
なるほど、本作は単に西部劇という古きよきジャンルを守り伝えるための布石ではなかったのだ。大事なのはあくまで運命と対峙する”人間たちの物語”。これを描く上で西部劇という構造をうまく活用することによって、生々しさはある種の”神話性”へと導かれていく。
まさに近年、スーパーヒーロー映画の作り手たちが意識的に選び取ってきた方法論を、ジェームズ・マンゴールド監督は別経由で導き出し、本作『3時10分、決断のとき』で効果的に実践していたのかもしれない。
1977年、長崎出身。3歳の頃、父親と『スーパーマンII』を観たのをきっかけに映画の魅力に取り憑かれる。明治大学を卒業後、映画放送専門チャンネル勤務を経て、映画ライターへ転身。現在、映画.com、EYESCREAM、リアルサウンド映画部などで執筆する他、マスコミ用プレスや劇場用プログラムへの寄稿も行っている。
(c)Photofest / Getty Images