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『ダンス・ウィズ・ウルブズ』“望まれた作品”ではなかったアカデミー賞受賞の西部劇

(c)Photofest / Getty Images

『ダンス・ウィズ・ウルブズ』“望まれた作品”ではなかったアカデミー賞受賞の西部劇

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『ダンス・ウィズ・ウルブズ』“あらすじ

1863年、南北戦争にて英雄となり、勤務地を選ぶ権利を与えられたジョン・ダンバーは、以前から興味を持っていたダコダにあるセッジウィック砦へと向かう。通常なら孤独に耐え兼ね、精神を病んでしまうような荒野に、次第に魅了されてゆくダンバー。彼は、愛馬と野性の狼と共に、満ち足りた日々を送り始める。やがて、インディアンに育てられた白人女性と恋に落ちたダンバーは、“狼と踊る男”という名をもらい、侵略者である白人から彼らを守ろうと努力するが……。


Index


第63回アカデミー賞を独占



 『ダンス・ウィズ・ウルブズ』(90)は、決して“望まれた作品”ではなかった。意外に思うのは当然だろう。この映画は、第63回アカデミー賞で作品賞をはじめ、監督賞・脚色賞・撮影賞・編集賞・作曲賞・録音賞の7部門を独占した、紛れもなく1990年代のはじまりを告げた、時代を代表する作品だったからだ。主演のケヴィン・コスナーは製作と監督を兼任。彼が受け取った<監督賞>のオスカー像にも大きな意味があった。


 1980年代のハリウッドでは、ある革新が起こっていた。それは、俳優が監督した作品が正当に評価されはじめたという点にある。例えば、ロバート・レッドフォードは『普通の人々』(80)で、ウォーレン・ベイティは『レッズ』(81)で、リチャード・アッテンボローは『ガンジー』(82)で、それぞれアカデミー監督賞に輝いている。製作年を見ればわかることだが、これは3年連続しての出来事だった。


『ダンス・ウィズ・ウルブズ』予告


 俳優が監督を務めることは、何も1980年代になって始まったことではない。古くは、サイレント時代にチャールズ・チャップリンやリリアン・ギッシュといった人気スターが監督した作品があるし、オーソン・ウェルズやチャールズ・ロートン、ジョン・ウェインやジャック・レモン、クリント・イーストウッドやバート・レイノルズ、ウディ・アレンやシルヴェスター・スタローンなどなど、その例は多岐にわたる。


しかし、チャップリンのような孤高の存在を除いて、往々にして彼らの作品は公開時の評価が低く、また<作家性>なるものを長らく無視され、後年になって再評価されたという経緯が大半を占めている。例えば、ウディ・アレンでさえも初期作品はコメディの文脈として評価されたに過ぎず、監督としての<作家性>を指摘されるようになったのは『アニー・ホール』(77)以降のことだ。


 そういったハリウッドの歴史において、俳優の監督作品がアカデミー監督賞に輝いたことは、ハリウッド映画界における価値観の変化を見出せたのである。しかし『ガンジー』以降、俳優による監督作品がアカデミー賞を受賞する機会は激減。『ダンス・ウィズ・ウルブズ』の監督賞受賞は、8年ぶりの快挙だった。このことが、どのくらいの快挙であったかは、同年の候補者である『ゴッドファーザー PARTⅢ』(90)のフランシス・フォード・コッポラ監督や、『グッドフェローズ』(90)のマーティン・スコセッシ監督と競っていたことからも推し量れる。


 俳優の監督作品がアカデミー監督賞に輝くという流れは、クリント・イーストウッド監督の『許されざる者』(92)、メル・ギブソン監督の『ブレイブハート』(95)へと続いてゆくことになる。意外に思えるかも知れないが、ケヴィン・コスナーの受賞はクリント・イーストウッドよりも先なのだ。ここで指摘できることは、ふたりの受賞作品が<西部劇>というジャンルをモチーフにしたという点にある。当時、<西部劇>は既に廃れたジャンルであり、同時に観客動員を見込めないジャンルだったからだ。



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