2021.02.26
「運命」を描き続けたクシシュトフ・キェシロフスキ
キェシロフスキといえば、「運命」を描き続けた作家だと思う。本作『青の愛』と同じく「運命」を描いた『白の愛』と『赤の愛』や、彼のフィルモグラフィーを足早にでもたどってみれば分かるだろう。一連の作品からは、やはり「運命」というテーマが浮かび上がってくる。
イレーヌ・ジャコブが“一人二役”を演じ、フランスとポーランドに生まれた瓜二つの女性の数奇な運命を描いた『ふたりのベロニカ』(91)はもちろんのこと、聖書の十戒をモチーフにして制作されたテレビドラマ・シリーズ『デカローグ』(89−90)では、人々の営みが交差するさまに、運命を感じざるを得ない瞬間が話数を重ねるにつれて増えてくる。さらにさかのぼると『偶然』(81)では、列車に乗り込もうとする青年がたどる“三つのパターン”の運命が語られている。
『デカローグ』予告
また、キェシロフスキ本人の手によって映画化が叶わなかった企画のひとつは、ダニス・タノヴィッチ監督の手により『美しき運命の傷痕』(05)として誕生した。原題はフランス語で「地獄」を意味する「L'enfer」だが、邦題には「運命」の文字が冠されているのは見てのとおりだ。
では本作『青の愛』で描かれる「運命」とは何か? それは唐突に訪れる喪失と、そこからの再起だ。前述の通り本作の冒頭は非常にショッキングなものである。事故の瞬間が捉えられていないため推測にすぎないが、ジュリーら一家が乗る車は恐らく故障によって操縦が効かなくなり、道路から外れ巨木に激突。こうしてジュリーには喪失が訪れる。「運命」とはしばしばロマンチック(浪漫的)な文脈で使われがちだが、ドラマチック(劇的)なものではあれど、それが喜劇ばかりだとはかぎらない。悲劇的な運命も多く存在する。そしてこういった運命的な瞬間が、いつどこにでも起こり得ることを私たちは知っているだろう。喜劇と悲劇は表裏一体である。
こうした現実との向き合い方は人それぞれだ。ジュリーの場合は自身の過去にまつわるものを処分することで、現実との折り合いをつけようとする。つまり“事故に遭う以前の自分”と、“事故に遭って以後の自分”とを切り離そうとするわけだ。しかし、過去の〈記憶〉が存在し、それに囚われているかぎり、彼女は自由になることができない。ジュリーの夫は高名な音楽家であった。彼女の脳内では、夫の遺した“未完の協奏曲”の旋律が反響し続けるのだ。