2021.02.26
“音楽映画”として『青の愛』
本作においては音楽が重要な役割を果たす。ジュリーが過去の記憶に囚われるさまは、この音楽によって演出され、より強調づけられている。しかもリフレインすることで、やがて私たちの頭からも離れなくなるのだ。とても印象深い旋律である。
この音楽を手がけているのが、ズビグニエフ・プレイスネル。彼は「トリコロール三部作」のみならず、数多くのキェシロフスキ作品の音楽を担当している。本作はほかのどのキェシロフスキ作品よりも、プレイスネルの音楽が高次元で結びついているものと断言していいだろう。とはいえ同時に本作は、徹底的に音楽を拒否しようとする映画でもある。過去の記憶を捨て去ろうと、物語の中心に立つジュリー自身が音楽を拒否するのだから。
『トリコロール/青の愛』(c)Photofest / Getty Images
ではどういった瞬間に本作『青の愛』が“音楽映画”としての顔を見せるのか。それは未完であった夫の楽曲を完成させようと、最終的にジュリーが動き出すときである。登場人物が「音楽」と手を取り合う瞬間──それは紛れもなく、“音楽映画”が誕生する瞬間だといえるだろう。そして本作においてこの事実は、ジュリーが過去に背を向けるのではなく、受け入れることを意味している。彼女は過去の記憶を捨て去ることで自由を得るのではなく、愛すべき記憶として抱きしめたうえで、新たな自由を得るのである。
完成した楽曲には、「新約聖書」にある「コリントの信徒への手紙」の第13章からの引用が歌詞として重ねられている。
“……最後に残るのは信仰と希望と愛──この三つの中で最も尊いものは愛”
ここで本作における“青”とは、すべてを包み込むような、寛容さを示す優しいものだったのだと思い至るのだ。
文: 折田侑駿
文筆家。1990年生まれ。主な守備範囲は、映画、演劇、俳優、文学、服飾、酒場など。映画の劇場パンフレットなどに多数寄稿のほか、映画トーク番組「活弁シネマ倶楽部」ではMCを務めている。敬愛する監督は増村保造、ダグラス・サーク。
(c)Photofest / Getty Images