2021.02.26
『トリコロール/青の愛』あらすじ
一度の事故で娘と夫を亡くし、自らも深傷を負ってしまったジュリー。退院後、家と家具のみならず夫の遺品である未完の楽譜までも処分をしてしまう。そしてパリへと一人で旅立ち、思い出から距離を置いて過ごそうとしたのも束の間、処分をしたはずの未完の楽譜の写しと、亡き夫の子を身籠る女性と出会う。
Index
青、白、赤──「トリコロール三部作」の第一作目
「やっぱり死ねない」
自動車事故によって夫と愛娘を一度に失ったジュリー(ジュリエット・ビノシュ)は、自らも大きな怪我を負い、搬送先の深夜の病院にて多量の薬物を口に含み自殺を図る。しかしそこで彼女は、この言葉を口にするのだ。「やっぱり死ねない」──と。
クシシュトフ・キェシロフスキ監督による『トリコロール/青の愛』(93)は、『トリコロール/白の愛』(94)、『トリコロール/赤の愛』(94)と続く「トリコロール三部作」の一作目にあたるものだ。「トリコロール」とはご存知のとおり、青、白、赤の三色から成るフランスの国旗を示すもの。青は“自由”を、白は“平等”を、赤は“博愛”を象徴している。つまり、キェシロフスキによるこの三部作はそれぞれに、“自由”、“平等”、“博愛”をテーマとしたものになっているのだ。
1993年に開催された第50回ヴェネツィア国際映画祭にて、金獅子賞のほか、女優賞と撮影賞を受賞した本作『トリコロール/青の愛』(以下、『青の愛』)で描かれているのは、“愛の呪縛からの自由(記憶からの再生)”だ。冒頭に記した一文は、本作のあらすじであり、物語の導入部でもある。耐え難いほどの大きな喪失を経験していながらジュリーが口にする「やっぱり死ねない」のひとことは、彼女が自由(=再生)を希求する存在であると端的に示しているだろう。これを起点に、物語ははじまる。
『トリコロール/青の愛』予告
本作は実際に劇中に見られる、視覚情報としての“青”が印象的な作品だ。開巻から終幕までブルーを基調とした映像で構成されており、プールをはじめとするいくつかの舞台や小物にいたるまで、終始私たちの目はこの色に引かれる。
青色を目にして想起するものは、観客それぞれにとって異なるだろう。それは広大な空や海を思わせるものかもしれないし、はたまた「ブルーな気分」というような“憂鬱さ”を感じさせるものかもしれない。他者に真の感情を悟らせまいとするような、ジュリエット・ビノシュの抑制の効いた佇まいは、このどちらとも受け取ることができる。いまは亡き夫の不貞に対する態度は前者のようだが、それは必ずしも“寛容さ”であるとはかぎらない。いつ嵐が起きてもおかしくはない状況である。後者の“憂鬱さ”に関しては、突然の喪失によって計り知れない心理状態にあるのだから、もちろん「ブルーな気分」どころではない。