部外者の目で見たとき、団らんは不気味に変化する
クリシャが家に入った後も、ますます不穏さは加速。冒頭に述べたように、家という限定空間の中で、カメラの動きがより不気味に映えだすのだ。たとえば、クリシャが息子のトレイと久々に再会した後、カメラは膝から落ちるように一瞬ぐらりと揺れる。そしてその後、真っ赤な背景に黒字で「Krisha」のタイトルが浮かび上がる。赤背景に黒というのは、デザイン的にいうとあまり良い組み合わせとは言えない。単純に黒がつぶれてしまうし、目に与える刺激も強いため基本的には避けるものだ。ただ、この映画ではあえてそこを攻める。
その後も、カメラは一貫して“揺れ”続ける。クリシャが連れてきた犬の寄りから徐々に引いていくカットも、実に不気味。しかもその後、同じカメラの動きをクリシャに対しても繰り返す。これは『イット・カムズ・アット・ナイト』でも見られたもので、寄り・引きのテンポ感がいやらしいほど絶妙だ。本作の撮影監督は、『イット・カムズ・アット・ナイト』『WAVES/ウェイブス』も手掛けるドリュー・ダニエルズ。彼の存在がそのまま、シュルツ監督の作家性につながっている。
『クリシャ』
このおぞましさは、『イット・フォローズ』(14)、『アス』(19)、『サーヴァント ターナー家の子守』(19~)といったホラー調の作品を得意とする撮影監督マイク・ジオラキスや、『ロブスター』、『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』(17)といったヨルゴス・ランティモス監督作品を手掛ける撮影監督ティミオス・バカタキスにも通じるものがある。人がただそこにいるだけでも、カメラが虫のようにもぞもぞと動いたり、観る側が理解できなくても、撮る側が確信を持ってフォーカスを当てたりすることによって、いくらでも“異空間”が立ち上がるのだ。ということを彼らはまざまざと見せつけてくる。
加えて重要なのは、本作が強烈に突きつける“異物感”だ。本来であれば多幸感あふれる空間になるはずの感謝祭の場が、『クリシャ』では徹底して悪夢的に描かれる。それぞれが思い思いに過ごすさまは“普通”だが、そこに部外者が入ると途端に“異常”な光景へと変貌する。テレビでスポーツの試合を観て歓声を上げるシーンも、いきなり投入されたらドキリとさせられるし、犬が庭を駆け回る姿も、地面からあおりで撮ると恐怖を掻き立てるものになる。七面鳥の調理シーンなど、「アリ・アスター監督作品か!?」と疑いたくなるほどトラウマ的だ。
タイマーを探すクリシャが台所をぐるぐると回る姿を360度回転するカメラで執拗に追いかけるシーンは、『WAVES/ウェイブス』でもあったシュルツ監督作品の真骨頂。これも動作としては日常にありふれたものだが、カメラや音楽、編集といった「演出」によってぞっとするものに仕上がっている。
そして本作が実に秀逸なのは、これらの時として過度な演出がすべて「クリシャの立場」を示す装置として機能していること。映像から醸し出される独特の居心地悪さは、そのままクリシャが感じているものにつながっているのだ。