©1979 PATHE PRODUCTION - TIMOTHY BURRILL PRODUCTIONS LIMITED
『テス』に刻印された、ロマン・ポランスキーのオブセッションとは
母親譲りの美貌で映画界デビューを果たした、ナスターシャ・キンスキー
ナスターシャ・キンスキーは、ヴェルナー・ヘルツォーク監督作品で知られる俳優(というよりも怪優)クラウス・キンスキーと、ブリギッテ・ルート・トッキの間に生まれた。19歳のときベルリンでショップ店員をしていた母ブリギッテは、目も眩むような絶世の美女だったという。すでに30半ばだったクラウス・キンスキーは彼女に一目惚れし、求婚。だが結婚生活は幸せなものではなかった。彼は彼女を大邸宅に閉じ込め、外出を一切許さなかった。好きな劇場に行くことや、働きに出かけることはもってのほか。男性であるという理由だけで、庭師を雇うことすら許さなかった。
「母は考える必要も、何かをする必要もありませんでした。彼女は最初から飼われているような女性だったんです」(ナスターシャ・キンスキーへのインタビューより抜粋)
やがてクラウス・キンスキーはブリギッテを捨てて、他の女性と結婚。まだ8歳だったナスターシャ・キンスキーと母親は、たちまち経済的に困窮する。自分が何とかしなければ。自分が母親を救わなければ。まだ年端もいかない少女は、自分の力でこの困難を切り抜けることを決意する。彼女には、大きな武器があった。母親譲りの美貌という武器が。
『テス』©1979 PATHE PRODUCTION - TIMOTHY BURRILL PRODUCTIONS LIMITED
ナスターシャ・キンスキーは10代からモデルとして働き始める。やがてヴィム・ヴェンダースに見出され、『まわり道』(75)で映画デビュー。まだ13歳だったにもかかわらず、彼女はトップレスとなった。マルチェロ・マストロヤンニと共演した『今のままでいて』(78)でも、彼女はヌードを披露する。周りの大人に言われるがままに、彼女はカメラの前で肌を晒し続けたのだ。それが正しいことなのか、そうではないのか、何もわからないままに。
「“君はそんなことをするべきではない。意味がないよ”と言ってくれる人は、誰もいませんでした。私を守ってくれる人もいませんでした。私はイタリアで暮らす若い女の子でしかなかった。愚かだったわ」(ナスターシャ・キンスキーへのインタビューより抜粋)
まだ若く、傷つきやすい時期に業界から搾取されていると感じた彼女は、自暴自棄になっていたのかもしれない。万引きをして捕まり、少年院に3ヶ月間入っていたこともあった。そんなときに出会ったのだが、ロマン・ポランスキーだったのである。