怪奇映画に憧れた監督が現出させた、怪談
もちろん観る者によって差はあるだろうし、人によっては「そんなことはない」と思うだろうが、『ライトハウス』は、全編にわたって「わからない」ことだらけだ。
エガース監督は本作に登場する灯台を「男根の象徴」とはっきり語っているが(さすれば光は射精といったところか)、なぜそれをしようと思ったのかは、きっと懇切丁寧に説明されてもわからない。元の脚本には、灯台と実際に勃起した男性器を比較するショットが書かれていたが、A24に止められたという(成人指定になるのを避けるためだとか)。
過去の栄光にすがる老人と他人に言えない秘密を抱えた青年というふたりの嘘つきが、あっけらかんと雄々しくそそり立つ男性性の象徴=灯台に焦がれていく、という構造自体は、わかる。しかし、なぜここまでの労力をかけて現代にそれを描こうとしたかは、きっと我々の理解を越えている。劇中のウェイクとウィンズローの情緒も終始乱高下して読みづらく、ふたりが酒を飲んで酔っ払い、歌い踊るシーンのテンションにはなかなかついていけないのではないか。
『ライトハウス』(C)2019 A24 Films LLC. All Rights Reserved.
その後の気がふれていくシーンも含めて、『ライトハウス』には「同じ人間でありながら、人間がわからない怖さ」が流れている。それは、登場人物と観客の関係性もそうだし、作り手と観客においてもそう。何を考えているのか、何をしようとしているのか、理解できないから恐ろしく、それ故に惹かれてしまう――。ウィンズローはカモメに対して言い知れぬ恐怖を感じ、異常なほど痛めつけてなぶり殺してしまうが、それとどこか通じるものがあるかもしれない。そして、「観客→登場人物→作り手」の断絶がある種の入れ子構造になっているため、この恐ろしさは物語がエスカレートしていくにつれ、一層増幅していく。
全てを観終え、エンドロールが映し出されたとき、どっしりとした疲労感と共に、我々は心の内でどこか解放感を抱いているのではないか。『ライトハウス』は、観客の魂をも絡めとり、あの孤島に閉じ込めようとしていたのだ。内に入ってきた旅人を食い物にしようとする――。なるほど、本作は「注文の多い料理店」にも似た怪談である。
文: SYO
1987年生。東京学芸大学卒業後、映画雑誌編集プロダクション・映画情報サイト勤務を経て映画ライター/編集者に。インタビュー・レビュー・コラム・イベント出演・推薦コメント等、幅広く手がける。「CINEMORE」 「シネマカフェ」 「装苑」「FRIDAYデジタル」「CREA」「BRUTUS」等に寄稿。Twitter「syocinema」
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『ライトハウス』
7/9(金)、TOHOシネマズ シャンテほか全国ロードショー
配給・宣伝:トランスフォーマー
(C)2019 A24 Films LLC. All Rights Reserved.