2021.10.04
海外ロケによって得た寓話性
本作の撮影のほとんどは、東欧セルビアのベオグラードのセットとモンテネグロの海沿いの町で行われた。水俣市は現在では1970年代の面影を残していないため、当時の街並みを海外で再現したのだ。しかし本作にはチッソの工場前で住民が抗議集会を開くといった、アジア人エキストラを多く必要とするシーンも含まれる。アジア系出演者を集めづらいであろう東欧での撮影は制作的な難題も多くあったはずだ。実際、抗議集会のシーンでは、モブ(群衆)の数が少し寂しく感じられる。
しかし、それを補ってあまりある効果をあげた点があった。それは東欧で撮影したことにより、“日本の風土感が削がれた”ことだ。映像には撮影地の風土・空気感が自然に映り込み、多くの作品はそれを強調することで、ルックのアクセントにしようとする。だが本作はモンテネグロに水俣の町を再現したことで、映像で見る場所がこの世界のどこでもないような無名性を帯び、一種の寓話的な空気をまとうことになった。
さらに、『青いパパイヤの香り』(93)『永遠の門 ゴッホの見た未来』(18)などを手がけた撮影監督のブノワ・ドゥロームの撮影も効果的だった。陰影を強調した、ソリッドでありながら深みのある撮影が寓話性に拍車をかけ、アジアの辺境で起きた事件に大きな普遍性を付与したのだ。
『MINAMATA―ミナマタ―』© 2020 MINAMATA FILM, LLC © Larry Horricks
もう一つ大きかったのは、監督/脚本のアンドリュー・レヴィタスの起用だ。彼は映画に携わる以前は、画家・彫刻家として高い評価を得てキャリアを積んだアーティストであった。ハリウッドのメインストリームの監督と一線を画するユニークなキャリアを持つ彼の画作りや演出が、本作の語り口に独特の色彩を与え、類型的な社会派作品の枠に収まらない作品の構築を成功に導いたのだろう。
そうした寓話的世界像をベースに、ストーリーは水俣の人々が病の原因と賠償責任をチッソに認めさせるために奮闘する過程を追っていく。何人かの実在の人物を組み合わせてキャラクターをクリエイトしたこともあり、事実とは異なる脚色も随所に見受けられるが、土本典昭監督の『水俣一揆―一生を問う人々―』(73)などのドキュメンタリーを参考にしたと思われるシーンもあり、説得力を損なうことはない。
さらに監督のレヴィタスは、キャストや各部門の責任者に400ページもの水俣病に関する参考資料を用意、正確さを何よりも大切にした。その甲斐もあって、先述したような寓話性を持ちながら、水俣病で苦しむ人々やチッソと対決する住民たちの描写には生々しい迫力が備わっており、スクリーンへの集中を途切れさせることはない。