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『MINAMATA―ミナマタ―』水俣とユージン・スミスを癒した、魂を撮るために注がれる視線

© 2020 MINAMATA FILM, LLC © Larry Horricks

『MINAMATA―ミナマタ―』水俣とユージン・スミスを癒した、魂を撮るために注がれる視線

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ユージン・スミスの視線に同化していく鑑賞体験



 しかし、そうした公害問題の経緯を正確に描くだけに留まっていたら本作は、ここまで感銘を与える作品にはならなかったはずだ。重要だったのは写真集を原作とすることで、ユージン・スミスの被写体に向ける「視線」を演出の背骨としたことだろう。ユージン・スミスが撮影に臨む姿勢をストーリーで再現することで、観客をより深いレベルで水俣とユージンの物語にアクセスさせたのだ。


 映画の公開と時を同じくして上梓された石井妙子によるノンフィクション「魂を撮ろう ユージン・スミスとアイリーンの水俣」では、彼の被写体へのアプローチの仕方をパートナーであったアイリーンがこう証言している。


 〈彼はよく「写真を撮る時、小さなネズミみたいになるんだ」って言っていた。誰にも気にされないように、目立たないようにって。自分の存在感を消す。(中略)大きな身体で水俣の患者さんの家の畳の部屋に入っていく。でも「入ってきました」という感じがない。ユージンは日本語を一言も覚えなかった。日本の文化や習慣を特に気にするでもなかった。でも彼にはアメリカ人独特のエゴがなかった。だから溶け込めたし、受け入れられたんだと思う〉


 フォトジャーナリストは自らの写真を発表することで、世界に現実を知らせることを使命とする。だが本作で描かれるユージンは報道することよりも、被写体にレンズを通して「視線」を注ぐことで、水俣の人々と共振し、まるで彼らを癒していくかのような印象を受ける。そして、その視線はユージンへと反射し、彼自身も癒されていくのだ(彼は沖縄戦の取材で上顎に大けがを負ったことで、普通の食事を摂ることが困難になり、アルコールを手放せなくなっていた)。


 人を見つめる行為を職業とする男が、その視線によって癒されていくというドラマ構造を持つことで、作品として忘れえない印象を残す。



『MINAMATA―ミナマタ―』© 2020 MINAMATA FILM, LLC © Larry Horricks


 先述の著書でアイリーンは、ユージンによるこんな言葉も語っている。


 〈ジャーナリストは裁判官に似ているとユージンは言っていた。裁判官には六法全書があるけれど、自分たちにはない。六法全書にあたるものは自分の中にある誠意や信念、責任感や物の見方。つまり自分による決断だ。その決断にジャーナリストは責任を持たなきゃいけない。客観性なんて言葉に逃げたらいけない、という考えだった〉


 客観性は公平に物事を見なければならない報道という観点ではとても大切だ。しかし人間の魂のディテールを掬い取る際に、それは邪魔になることもあるし、表現者の逃げ道となることもある。客観性に逃げず、被写体の中に入り込み、共振することでしか達成され得ない表現。「十字架を背負う写真家」と評されたユージン・スミスは、自らの命を削りながら魂を揺さぶる写真を目指した。


 本作は、そうしたユージン・スミスの哲学をジョニー・デップを依り代として表現することで、観客に鮮烈な映画体験を与える。我々は本作によってユージン・スミスが被写体に注ぐ視線を疑似体験し、その視線を我々自身も浴びることになる。魂を撮るために注がれる視線に観客は否応なく感応し、深いレベルで共振するのだ。



参考:

「魂を撮ろう ユージン・スミスとアイリーンの水俣」(石井妙子:著 文藝春秋)



取材・文:稲垣哲也

TVディレクター。マンガや映画のクリエイターの妄執を描くドキュメンタリー企画の実現が個人的テーマ。過去に演出した番組には『劇画ゴッドファーザー マンガに革命を起こした男』(WOWOW)『たけし誕生 オイラの師匠と浅草』(NHK)『師弟物語~人生を変えた出会い~【田中将大×野村克也】』(NHK BSプレミアム)。



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『MINAMATA―ミナマタ―』

9月23日(木・祝)TOHOシネマズ 日比谷他全国公開

© 2020 MINAMATA FILM, LLC © Larry Horricks

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