2021.10.12
流れるように進む脚本の巧さ、構造の豊かさ
こういったキャラクター描写だけではない。『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』(21)は過去を生かした物語の織り成し方も素晴らしいのだ。例えば序盤、ボンドとマドレーヌが仲睦まじく、ホテルの一室で「過去を忘れる」ことについて言及する場面がある。
ここでふと思い出すのは、『カジノ・ロワイヤル』のクライマックスである。ヴェニスのホテルで朝を迎えたボンドは、愛するヴェスパーが”恋人の忘れがたみ”とも言えるペンダントをもはや身に付けていないことに気づく。「ペンダントをしていないね」「過去を忘れることってできるのね」。ここではヴェスパーが「過去の恋人を忘れようとする」側で、ボンドはそれを「待つ」側。しかし幸福感に包まれるのも束の間、彼らはすぐさま大きな試練へと突き落とされていく。
『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ 』© 2021 DANJAQ, LLC AND MGM. ALL RIGHTS RESERVED.
すなわち『ノー・タイム・トゥ・ダイ』の序盤シーンと『カジノ・ロワイヤル』の終盤シーンは、構造的に見て”呼応”しているのだろう。もっとも、本作では立ち位置が変わり、ボンドの方が「過去の恋人(ヴェスパー)を忘れようとする」側で、マドレーヌはそれを「待つ」側(なおかつ、もう一つの「過去の記憶/トラウマ」が示唆されるわけだが)。
となると、本作でも当然ながら同様の”試練”が襲うのは避けられない。かつてヴェスパーの一件があったからこそ、ボンドの脳裏にはまず「裏切り」という言葉が浮かんだはず。いや、彼は裏切りや隠し事に耐えられないのではない。その果てに、「愛する人の死」が繰り返されることこそ一番恐るべき悲劇であり、それを避けるためなら別れを告げた方が良いとさえ感じている。こんな面にも登場人物たちの心のありようが深く見て取れる。