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『私のように美しい娘』トリュフォーを魅了したベルナデット・ラフォン、その自由の闘士としての姿

©Pierre Zucca

『私のように美しい娘』トリュフォーを魅了したベルナデット・ラフォン、その自由の闘士としての姿

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あこがれのベルナデット



 決定的な長編監督デビュー作『大人は判ってくれない』(59)以前に撮られた珠玉の短編『あこがれ』(57)で、トリュフォーはラフォンを迎え入れている。『私のように美しい娘』のカミーユについて考える際、『あこがれ』のヒロイン像との対比は、二人のキャリアを考える上で示唆に富んでいる。ラフォンにとって『あこがれ』は初めての映画出演だった。そして『あこがれ』のヒロインは少年たちによって夢見られたヒロインであり、トリュフォーによって思いがけず夢見られてしまった女性だった。


 当初ジェラール・ブラン主演で『あこがれ』を撮る予定だったトリュフォーは、当時ブランと結婚していたラフォンに強く惹かれてしまう。トリュフォーはブランの反対を押し切ってラフォンを映画に引き入れている。『あこがれ』のロケ地となったニームはラフォンが住んでいたことを理由に選ばれた。地元の踊り子として有名だったラフォン。最終的に完成した作品ではブランの出演シーンがことごとくカットされ、ラフォンと五人の子供たちによる映画となっている。ブランとラフォンは本作の直後に離婚してしまう。



 『私のように美しい娘』©Pierre Zucca


 『あこがれ』には、トリュフォーのフィルモグラフィーを貫く、女性と子供の主題がこの時点で出揃っていることに驚かされる。ラフォンはその後のトリュフォーの方向性を決めることになる作品の中心にいた。ここでラフォンは少年たちが夢見る女性として本人役ベルナデットを演じている。


 『あこがれ』のベルナデット役は『私のように美しい娘』の社会学者スタニスラス(アンドレ・デュソリエ)によって易々と分類、分析できてしまえるようなヒロイン像だったといえる。しかしスタニスラスが『私のように美しい娘』のカミーユの属性を分類することは不可能だ。


 『あこがれ』から十年以上の時が過ぎ、ベルナデット・ラフォン自体が何物にも分類することができない女性俳優へと変貌を遂げていた。ヌーヴェルヴァーグの周縁にいるような極めてラディカルな映画作家の作品にも積極的に力を貸していたラフォン。トリュフォーは現在進行形で何度も生まれ変わっていく「俳優ベルナデット・ラフォン」を『私のように美しい娘』に記録していく。生まれ変わる度に大胆不敵な笑みを浮かべるカミーユ役は、ラフォンにしか演じることができない。





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