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『私のように美しい娘』トリュフォーを魅了したベルナデット・ラフォン、その自由の闘士としての姿

©Pierre Zucca

『私のように美しい娘』トリュフォーを魅了したベルナデット・ラフォン、その自由の闘士としての姿

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自由と婚約した娘



 現代の映画作家でトリュフォー映画のスピード感、または『私のように美しい娘』のスピード感を正しく継承しているのは、おそらくウェス・アンダーソンだろう。それはトリュフォーの映画に出てくる小道具の再解釈に留まらない。たとえば本作でカミーユと結婚するクロヴィスの家における部屋から部屋へ人が移動する様を外から撮っていく撮り方。そしてなにより本作で人が銃を手にしたときのドタバタな破局ぶりとスピード感は、技術面や演出の細部においてもアンダーソンがトリュフォーの映画を継承していることがよく分かる。ドタバタ喜劇のスピード感。『あこがれ』の撮影の際、「おはようございます」の挨拶も言うか言わないかの間に照明機材を三個も割ってしまったというラフォンのドタバタなエピソードも面白い。


 何者にも分類できないゆえに、スタニスラスは取材相手のカミーユに惹かれていく。刑務所に囚われているのはカミーユであるにも関わらず、むしろスタニスラスが囚われの人になっていく。半生を語るカミーユのリズミカルな言葉は、スタニスラスを圧倒するのに充分すぎる魅力を備えている。スタニスラスはカミーユの放つ言葉のスピードや彼女の身振りのスピードに追いつけない。スタニスラスは自分が決して追いつけないものに激しく心を奪われていく。それはまさしく「あこがれ」といえるものだろう。スタニスラスは彼女の自由に惹かれ、大きな火傷を負ってしまう。何者も彼女に追いつくことはできない。



『私のように美しい娘』©Pierre Zucca


 ラフォンは彼女の代表作とされている『La fiancée du pirate(海賊のフィアンセ)』(69)で、『私のように美しい娘』におけるカミーユの原型のようなヒロインを演じている。ヒロインは卑しい男性たちから金品を受け取り、そのコレクションをことごとく破壊して村を飛び出す。自由の闘士としてのベルナデット・ラフォン。誰のものでもない彼女は、おそらく彼女の心の中にある自由の闘士と永遠の婚約をしている。


 『私のように美しい娘』のラフォン=カミーユは、陽気な猫のように自由だが、ひとたび自由を脅かされると、子猫を守る母親のように強い抵抗のまなざしを世界に向ける。絶対に搾取されまいとする抵抗のまなざし。ゆえにスタニスラスがカミーユの半生を纏めた「犯罪女性」という書物が出版されることはなかった。何者も彼女を搾取することはできない。それがカミーユの闘いである限り。売れっ子歌手に転身したカミーユはステージで高らかに歌う。メロディは繰り返される。まるで彼女の人生の真実がその瞬間にしか生まれないことを確かめるように。女はこうして生まれ変わる。私のように美しい娘に。女はこうして生まれ変わる。私のように美しい娘に。


* 「トリュフォーによるトリュフォー」(ドミニク・ラブールダン編・山田宏一訳/リブロポート)


文:宮代大嗣(maplecat-eve) 

映画批評。「レオス・カラックス 映画を彷徨うひと」、ユリイカ「ウェス・アンダーソン特集」、リアルサウンド、装苑、otocoto、松本俊夫特集パンフレット等に論評を寄稿。



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作品情報を見る



『生誕90周年上映 フランソワ・トリュフォーの冒険』

6/24(金)~7/14(木)東京・角川シネマ有楽町、名古屋・伏見ミリオン座、

7/1(金)~大阪テアトル梅田にて開催他、全国順次公開予定

*劇場によって上映作品の変更の可能性がございます。

提供・配給:KADOKAWA 宣伝:マーメイドフィルム、VALERIA

©Pierre Zucca

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