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『未知との遭遇』スピルバーグの傑作SFに、映画監督トリュフォーがキャスティングされた理由
『未知との遭遇』あらすじ
インディアナポリスで続発する謎の停電事故。調査のため派遣されたロイは、そこで信じられないような出来事を目撃する。だが、彼の驚くべき体験を誰も信じようとはせず、調査は政治的圧力によって妨害されてしまう。しかしロイは何かに導かれるように、真実の探求を始めた。そして彼が辿り着いた場所とは…。
Index
誰も予想しなかった仰天のキャスティング
『未知との遭遇』は、スピルバーグがちょうど30歳の節目を迎える頃合いに手がけた傑作SFである。これまで陸での攻防(『激突!』)、海での闘い(『ジョーズ』)と視点をよりダイナミックに移行させてきた彼が、ついに空を突き抜け、その向こう側へと想像の翼を羽ばたかせようとするのだから、これは究極の挑戦といっても過言ではない。本作が成し遂げたことはあまりに大きく、今見直してもそこには信じがたいほどのイマジネーションが炸裂し、また技術的な面でもかつてない取り組みが盛りだくさんであったことがうかがえる。
かくいう私は、この映画をリアルタイムで劇場鑑賞するには年齢が及ばず、中学生くらいの頃のテレビ放送にて鑑賞した派である。その頃はただ、SFXの魔術や物語の展開にドキドキするばかりでディテールなんて気にする余地もなかった。だがいま、ある程度の大人になってから鑑賞することでハッと改めて気づかされることも数多い。その一つが、本作に俳優として登場する映画監督フランソワ・トリュフォー(1932~84)の存在である。中学生の頃は彼が何者かなんて露ほども知らなかったが、ひとたび『大人は判ってくれない』(59)や『アメリカの夜』(73)を始めとする傑作群に触れた上で『未知との遭遇』に回帰すると、この超大物のキャスティングに今更ながら仰天せずにいられなくなる。
当時、ハリウッド側からこのヌーヴェルヴァーグの名匠に出演依頼を出すなんて、およそスピルバーグにしか思いつかないスペシャルな荒業だったはずだ。当のトリュフォーは’84年に亡くなっているので彼の口から真意を聞くことはできないが、一方のスピルバーグによると、この映画にトリュフォーを招聘したいという思いが芽生えたのは、『野生の少年』(70)がきっかけだったという。トリュフォーはこの作品で監督のみならず出演も兼ねている。赤ん坊の頃にジャングルに捨てられ、獣同然に育ってきた少年に人間性は宿るのかどうかを見守る博士役だ。この博士の語り口や慈愛に満ちた眼差しを見て、スピルバーグは大いに心動かされ、やがて『未知との遭遇』の製作準備を進める中で「ぜひ彼に演じてもらいたい!」と思いを強めていったという。
ただ、ここでスピルバーグの凄さを改めて認識させられるのが、キャスティングにあたっての“口説き方”である。ただ単に熱烈オファーするのではなく、まずは「とりあえず脚本を送るからぜひ読んでみてください」という。となると、映画監督、脚本家のみならず映画評論家でもあるトリュフォーに、このスピルバーグ作品の脚本を紐解くことができる千載一遇のチャンスを断れるわけがない。そうやって好奇心を刺激するような格好でファーストコンタクトが取られ、案の定、脚本が届いてから3日後には彼の側から「さっそく衣装スタッフをよこしてください」との連絡が入る。それはつまり、ラブレターへの快諾を意味する言葉だった。
トリュフォーにしてみれば、脚本に触れた以上、撮影に参加しこれが具現化されていく過程を自らの目で確かめたいとする好奇心に火がついたのだろう。そこまで見込んだスピルバーグと、その狙いが分かった上であえて誘いに乗ってみせたトリュフォー。二人の策士が思い描く、“舞台裏の脚本”を想像するだけで鼓動の高まりが抑えられなくなるのは私だけでないはずだ。
そしてついに時は満ちた。訪米したトリュフォーは、撮影初日、スピルバーグに「私は俳優として参加します。よって、あなたの言葉に全て従います」と告げたという。彼は、映画監督や評論家としてではなく、あくまで俳優として全身全霊をスピルバーグ作品に捧げることを許容したのだ。