恐怖を支える「イヤな設定」
それにしても異様なエネルギーに満ちた映画だ。本作は祈祷師の血を引くニムたち一族に密着したという設定の映像で全編が構成されているが、もしや彼女たちは実在するのではないかと思えるほどのリアリティ。村の風景は時に美しく、時におどろおどろしく映し出され、手持ちカメラはその場にいるような臨場感を演出する。閉鎖的なコミュニティの雰囲気が、観る者にじっとりと絡みついてくるようだ。そんな中、少しずつ怪異が迫ってくる恐ろしさが映画序盤の見どころである。
物語の基盤を構成し、その恐怖を支えるのは、緻密に描き込まれた人間関係だ。そもそも時を遡れば、女神・バヤンに祈祷師として初めに選ばれたのは、妹・ニムではなく姉・ノイだったのである。しかし若き日のノイが継承を拒んだことで、その力はニムに移った。ふたりの間にギクシャクとした空気が漂うのは、少なからずニムが人生を犠牲にしたのに対し、それでもノイがニムを完全に信頼していないからだろう。ノイは自分の考えが正しいと信じ、ニムがミンを勝手に診ようとすることさえ嫌がるのだ。
ニムとノイにはマニという兄もいる。マニにはまだ若い妻・パンがおり、ふたりの間には子どもが生まれたばかり。そのせいもあるのだろうか、マニはミンの異変こそ心配しているが、姉妹の関係には踏み込みすぎない距離感がある。また病死したニムの夫・ウィローの一族には謎めいた不幸が続いており、ウィローの父は工場の経営不振ののち獄中で自殺、祖父は労働者に石を投げられて死亡。ノイとの間に生まれた息子、すなわちミンの兄であるマックも若くして事故死している。
『女神の継承』© 2021 SHOWBOX AND NORTHERN CROSS ALL RIGHTS RESERVED.
娘に“何か”が憑依しているだけで恐ろしいのに、人間関係や村の雰囲気が事態をややこしくする。こうしたイヤな設定は、祈祷師や儀式といったモチーフを含め、澤村伊智「ぼぎわんが、来る」(角川ホラー文庫)に始まる比嘉姉妹シリーズや、同作の映画化である中島哲也監督『来る』(18)にも通じるもの。同じアジアのホラー・ストーリーとして、日本人の観客が理解しやすいところは多いはずだ。
監督・脚本のバンジョン・ピサンタナクーンに取材したところによると、本作のストーリーは約7割がナ・ホンジンの原案に忠実だという。ナ・ホンジン作品といえば、『哭声/コクソン』だけでなく『チェイサー』(08)や『哀しき獣』(10)でもスリラーやバイオレンスの中に濃密な人物描写を織り込んでいた。そのテイストは、監督の異なる『女神の継承』にも“継承”されている。