(c) 2020 SBS PRODUCTIONS - PATHÉ FILMS - FRANCE 2 CINÉMA - FRANCE 3 CINÉMA
『ベネデッタ』最強の身体を手に入れるカリスマ修道女
未分化な遊戯
「賢さは危険よ、自分にも牙をむく」
これまでの多くのヴァーホーヴェンの作品が「共同体」を描いてきたように、本作の舞台は修道院という小さな世界に設定されている。修道院に入ったばかりの少女時代のベネデッタは賢さを見抜かれ、警告される。先輩の修道女によるこの曖昧で不吉な助言が、コミュニティを内側から破壊していく予言となっていく。興味深いのは、修道女のリーダーを務めるシスター・フェリシタ(シャーロット・ランブリング)の言葉だ。フェリシタは修道院での活動について、無益で無意味なことだと自分では思いつつ、人生のすべてを捧げてきたと告白している。賢さが危険とされるのは、慣習や儀式がいったい何のために行われているのか疑問を挿まれたときだろう。その疑問の頂点に教皇を中心とする家父長制がある。既得権益の立場にいる男性たちは、女性が賢さを発揮すること、自律的な欲望を持つことを何よりも恐れている。
羊飼いの父親に虐待されているバルトメアが修道院に駆け込んできたとき、映画は大きく動く。オオカミのような瞳をした「野生の女」バルトメア。これまで敬虔な信徒として生きてきたベネデッタは、明らかに信仰心の薄いバルトメアの面倒を見ることになる。二人の関係はあっという間に完成する。ベネデッタとバルトメアが二人で並んで用をたすシーン。排泄音まで丁寧に拾われた、このなんとも言えない空気の流れるトイレシーンは、二人がこれから結んでいく親密な物語を引き起こすことに成功している。すべてはトイレから始まる。野蛮な盗賊には鳥の糞が命中したが、バルトメアは排泄の快感に叫びをあげる。バカバカしいように見えるこの遊戯こそが素晴らしい。
『ベネデッタ』(c) 2020 SBS PRODUCTIONS - PATHÉ FILMS - FRANCE 2 CINÉMA - FRANCE 3 CINÉMA
ベネデッタとバルトメアの接触では、官能よりも遊戯のような楽しさが遥かに勝っている。予め振付けをすべて決めて撮ったというラブシーンで、二人の瞳は本当に子供のように輝いている。俳優たちが楽しんでいるのが伝わってくるような、陽気な雰囲気がある。未分化なジェンダーの世界へ二人で退行していく冒険性のようなものが、『ベネデッタ』のラブシーンにはあるのだ。本作の撮影監督を務めたジャンヌ・ラポワリーは、薄明りの照明が美しいこのシーンをお気に入りに挙げている。
「修道院の薄明かりの中で撮影されたもので、身体に当たる光が甘く、とても誇らしい出来です。まさに完璧な光で、肌の上に素晴らしい色の混ざり合いを生み出しています」(ジャンヌ・ラポワリー)*2