©LES FILMS DU FLEUVE - ARCHIPEL 35 - SAVAGE FILM - FRANCE 2 CINÉMA - VOO et Be tv - PROXIMUS - RTBF(Télévision belge)
『トリとロキタ』生きるために隠された感情、そして名誉
名誉の返還
ダルデンヌ兄弟のフィルモグラフィーを追っていくと、長編第三作目にあたる『イゴールの約束』以前と以後で大きくスタイルが変わっている。断絶と言ってもよいほどの違いがそこにはある。長編デビュー作『ファルシュ』(86)や、ダルデンヌ兄弟が”失敗作”の烙印を押している『あなたを想う』(92)では、基本的にカメラはフィックスで撮られ、俳優にはより厳格な振付けが要求されている。疑いようのない演出力の高さが感じられる二作品だが、『イゴールの約束』以後、このスタイルは完全に葬り去られてしまう。
この大きな変化について、ダルデンヌ兄弟は「俳優の身体性」への探求を一番の理由に挙げている。俳優が動き回ることで何かが隠され、静止することで隠されていたものが暴かれる。ダルデンヌ兄弟の映画における動作と静止には、身体と感情の関係性への探求がある。それは”社会が見えなくしているものを見る”というテーマとつながっているように思える。ダルデンヌ兄弟が『息子のまなざし』(02)について語った次の言葉はとても興味深い。
「実は私たちが考えていたのは、罪を赦すことについてのシナリオではなく、殺人の禁止、そして欲望についてのシナリオでした。ある行為が禁止されているのであれば、それを実行したいという欲求も存在するはずです」*1
『トリとロキタ』©LES FILMS DU FLEUVE - ARCHIPEL 35 - SAVAGE FILM - FRANCE 2 CINÉMA - VOO et Be tv - PROXIMUS - RTBF(Télévision belge)
息子を殺された男性と加害者の青年との出会いを描いた『息子のまなざし』において、多くの観客は罪を赦すことに関する映画だと捉えていた。しかしダルデンヌ兄弟によると、むしろ隠された復讐への欲望、禁止された欲望に焦点を当てた映画なのだという。ダルデンヌ兄弟の映画の主人公は、いつも相反する感情に引き裂かれている。主人公は常に罪悪感を感じながら行動している。『トリとロキタ』のトリも、本当は嘘をつくのが嫌いだとロキタに告白している。生きるために人に嘘をつく。なにかを隠す。隠さなければならないことが幾層にも幾重にも積み重なっていく。トリのまっすぐで冷静な瞳の裏に隠されたもの。ではなぜトリとロキタは感情を隠さなければならないのか?これは何のせいなのか?ダルデンヌ兄弟が暴きたいものはそこにある。
『トリとロキタ』は、私たち観客が目撃者になることで二人の名誉を返還する。誰にも知られることのなかった名誉。森の中で悲痛に響き渡る乾いた音と二度と響くことのない歌を、私たちはほぼ同時に”目撃”する。二人の名誉、二人が生きるために隠していた感情を、私たちは持ち帰る。無力感で胸がズキズキと痛む映画だ。しかしその痛みの中にこそ、可能性を探っていきたい。
*1 Bert Cardullo「Committed Cinema The Films of Jean-Pierre and Luc Dardenne Essays and Interviews」
*2 Screen Slant[Where You Find Humanity: An interview with the Dardenne brothers]
映画批評。「レオス・カラックス 映画を彷徨うひと」、ユリイカ「ウェス・アンダーソン特集」、リアルサウンド、装苑、otocoto、松本俊夫特集パンフレット等に論評を寄稿。
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『トリとロキタ』
3月31日(金)ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、渋谷シネクイントほか全国順次ロードショー!
配給:ビターズ・エンド
©LES FILMS DU FLEUVE - ARCHIPEL 35 - SAVAGE FILM - FRANCE 2 CINÉMA - VOO et Be tv - PROXIMUS - RTBF(Télévision belge) Photos (c)Christine Plenus