@Christine Plenus
『その手に触れるまで』ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ監督 狂信化してしまった若者たちは、人生を取り戻すことができるのか【Director’s Interview Vol.58】
『ノーカントリー』(07)のコーエンに、『マトリックス』(99)のウォシャウスキー、『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』(18)のルッソ……。兄弟で一本の映画を撮るコンビは意外に多い(ウォシャウスキーは現在は姉妹)。その中でも、世界的な巨匠として知られる兄弟監督が、ベルギーのこの2人、ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌだろう。
カンヌ国際映画祭には8作品連続でコンペティション部門に選ばれ、パルムドールを2回(『ロゼッタ』(99)、『ある子供』(05))、グランプリを1回(『少年と自転車』(11))受賞という、信じがたい快挙を達成。そして昨年の第72回カンヌ国際映画祭で、監督賞を受賞した最新作が『その手に触れるまで』だ。
主人公は、イスラム指導者の過激な教えに感化されてしまった、ベルギーの13歳の少年アメッド。学校の教師が、イスラムの教えに対して冒涜的だと思い込んだ彼は、その教師を殺害しようと決意する。あまりにショッキングな物語ながら、作品の印象は単純ではない。思春期の思い込みがいかに本人に影響を与えるかという普遍的な問題と過激な宗教による狭量さを重ね合わせる。そして少年アメッドのピュアな表情と行動のギャップなど心をざわめかせる要素を、ダルデンヌ作品らしく冷徹さと温かさの巧みなブレンドでまとめ上げ、思わぬ感動を導く力作。
ベルギーのダルデンヌ兄弟に、この新作への思い、主人公のキャスティングなどを聞いた。
Index
狂信化した若者は人生を取り戻せるのか
Q:現実社会の問題を、一般の人々の目線で描くという、今回もお二人らしい作風です。この脚本に着手した、最初の動機から聞かせてください。
ジャン=ピエール:2015年にフランスで同時多発テロが、そして2016年にはベルギーのブリュッセルの空港や駅で連続テロ事件が起こりました。ベルギーにいた私たちは「テロが日常に近づいてきた」という実感がありました。じつはフランスとベルギーの2カ国で生まれたテロリストは多いのです。たとえばベルギーで生まれ、ベルギーで教育を受け、そのうえで狂信化した人たちがいます。そのあたりが今作を作るうえでの、最初のきっかけですね。
リュック:テロは「きっかけ」というより「後押し」でした。イスラム教が問題なのではなく、その中の(主人公アメッドが心酔する)過激派が問題なのです。テロについての物語を作るというより、どうすればこの問題に抵抗できるかを考えました。その結果、狂信的な少年は何をきっかけにその状態を脱するのかに、主眼を置きました。ムスリムの純潔の理想によって狂信化してしまった若者たちが、いかにして元の人生を取り戻すことができるのか。最も大切にしたのは、その部分です。
Q:ただ、この映画は見方によっては、ひとつの宗教を批判していると捉える人もいるでしょう。そのような危惧を、脚本の段階から考えていましたか?
リュック:もちろん、そのリスクは考えていました。
ジャン=ピエール:製作の当初は懸念がありましたね。裁判を起こされるのではないか? プロパガンダと受け止められるのではないか? でも、私たちは観客の知性を信頼することにしたのです。そして、その判断は正しかったですね。結果的に間違った方向の論争は起こりませんでしたから。
リュック:重要だったのは、思春期に入った男の子が、社会的、あるいは経済的な理由で人を殺す物語にしてはいけない、ということでした。あくまでも「宗教の解釈による狂信化」の物語を描きたいという信念が、私たちにはありました。
Q:ムスリムの人たちからも強い反論はなかったのですか?
リュック:ムスリムの人たちにも完成した作品を観てもらいましたが、多くの人が、主人公の母親の気持ちに共感してくれました。この映画が、イスラム教に反対するものではないと理解してくれたようです。高校でも映画を上映したところ、そこで観たムスリムの生徒からの反応も良かったです。もちろん、たくさんの反応や議論はありましたが、宗教についての議論ができること自体が、良い社会環境であると言えるでしょう。