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『国葬の日』その日の日常をフラットに描いたことで現れた、「怖さ」の正体

(C)「国葬の日」製作委員会

『国葬の日』その日の日常をフラットに描いたことで現れた、「怖さ」の正体

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フラットな目線で切り取る日常



 日本各地で取材を行う自分以外の9人のディレクターたちに、大島はこんな指示を出した。


 「まずは自分の思想信条に関わらず、色んな人の声を拾ってほしい。ディレクターのほとんどは国葬に反対だと思います。その意見を被写体に伝えるか伝えないかはどちらでも良い。ただ自分と同じ考えの人だけを撮るのではなく、フラットな目線で撮って欲しい」


 国葬に対する意見の一つひとつをフラットな目線で採集することで、人々の意識の総体を明確にあぶりだそうとしたことは分かる。重要なのはもう一つの指示だ。


 「その場所で起きている「日常」にもちゃんとカメラを向けてほしい」



『国葬の日』(C)「国葬の日」製作委員会


 大島が重視したのは国葬の当日、日本人が送る「日常」の描写だった。国葬会場の周辺では皇居ランナーがいつも通りジョギングをし、新宿西口の巨大喫煙所には人々が群がる。上野アメ横のパチンコ店では10時の開店に男たちが列をなす。こうした映像が不意に挿入される。我々が普段意識しない「日常」が国葬と並列に提示されることで、なんとも言えないグロテスクな容貌を持ちはじめる。撮影者の感情を排した映像を絶妙な“間”で挿入する編集テクニックもあいまって、この演出は大きな効果をあげ、監督も意図しなかった豊かな暗喩性を作品に付与することとなった。





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