2023.09.29
古今東西語られ尽くされてきた、“サスペンスの神様”
ヒッチコックという映画作家は、あまたの評論家たちにとって格好の研究対象だった。
彼の映画をジャック・ラカンの思想と結びつけて分析した、哲学者スラヴォイ・ジジェクの「ヒッチコックによるラカン―映画的欲望の経済」。ヌーヴェルヴァーグ作家主義的な観点から考察を試みた、エリック・ロメールとクロードシャブロルの「ヒッチコック」。『サイコ』(60)の内幕を詳細にレポートした、スティーヴン・レベロの「ヒッチコック&メイキング・オブ・サイコ」。そして、フランソワ・トリュフォーがヒッチコックにインタビューを行い、その華麗なるテクニックの秘密に迫った「定本 映画術 ヒッチコック/トリュフォー」。
もちろん、書籍だけでなく映画も数多く作られている。前述の「映画術 ヒッチコック/トリュフォー」を題材にしたドキュメンタリー映画『ヒッチコック/トリュフォー』(15)。アンソニー・ホプキンスがヒッチコックを、ヘレン・ミレンがその妻アルマを演じた『ヒッチコック』(12)。トビー・ジョーンズがヒッチコックを、シエナ・ミラーが『鳥』(63)の主演女優ティッピ・ヘドレンを演じた『ザ・ガール ヒッチコックに囚われた女』(12)。
『ヒッチコックの映画術』© Hitchcock Ltd 2022
プロデューサーのジョン・アーチャーから、彼を題材にしたドキュメンタリー映画の制作を持ちかけられたとき、マーク・カズンズが最初に示した反応は「ヒッチコックの映画なんて、いくらでもあるじゃないか!」というものだった。それだけ“サスペンスの神様”は、古今東西語られ尽くされてきたのである。
セルゲイ・エイゼンシュテイン、ジェレミー・トーマス、ポール・シュレーダーといった映画人を取り上げてきたカズンズにとっても、ヒッチコックと正対することは勇気のいる作業だったことだろう。だが彼は、少年時代に『サイコ』の衝撃的なシャワーシーンを目撃して以来、その華麗な映像テクニックに魅了され続けてきた。学生時代に「大きくなったら何になりたい?」と聞かれて、「アルフレッド・ヒッチコック!」と答えたこともあった。
ヒッチコックの言葉を自分で編み出し、ヒッチコックの声で足跡を辿るドキュメンタリーを撮ることは、おそらく映画監督マーク・カズンズの悲願でもあったのだろう。