2023.09.29
※本記事は映画の結末に触れているため、映画をご覧になってから読むことをお勧めします。
『ヒッチコックの映画術』あらすじ
“サスペンス映画の神様”とも称されるアルフレッド・ヒッチコック。監督デビューから100年。映像が氾濫するこの時代においても、ヒッチコック作品は今なお映画を愛する者たちを魅了し続けている。本作は「本人」が自身の監督作の裏側を語るスタイルで、その“面白さの秘密”を解き明かしていくドキュメンタリー作品である。膨大なフィルモグラフィと過去の貴重な発言を再考察し、観客を遊び心と驚きに富んだヒッチコックの演出魔法の世界へと誘ってくれる。監督と脚本は『ストーリー・オブ・フィルム 111の時間旅行』(11)で6年の歳月をかけて約1,000本の映画を考察しながら映画史を紐解いて見せたマーク・カズンズ。
Index
黄泉の国から蘇ったヒッチコック
静謐なピアノの調べ、優雅にたゆたう一匹の金魚。『ヒッチコックの映画術』(22)は、そんな美しいオープニングで幕を開ける。すると突然、信じられないテロップがスクリーンに映し出される…「脚本&ナレーション アルフレッド・ヒッチコック」。そして「木立の中の私が見えるかな?」と、どこか人を食ったような、茶目っ気のある、独特なあの“声”が聴こえてくる。「私の死から20年後に作られた記念碑だ」とその声の主は語りかけ、いつもと違う角度からヒッチコック映画を探索してみよう、と我々を誘う…。ヒッチコック自身の声で。
もちろん、これはフェイクだ。偉大なるサー・アルフレッド・ヒッチコックの声の正体は、アリステア・マクゴーワン。デヴィッド・ベッカム、ゲイリー・リネカー、トニー・ブレア、チャールズ皇太子の物真似でも有名な芸人だ。監督のマーク・カズンズが書いたダイアローグを、驚異的な声帯模写で演じ切っている。筆者はヒッチコック自らホストを務めたテレビ番組「ヒッチコック劇場」を鑑賞して聴き比べてみたが、正直違いがさっぱり分からなかった。
「オーソン・ウェルズについて撮った映画が好評だったので、それをさらに一歩進めて、ヒッチコックを一人称で描こうと思ったんだ。本当に数秒で思いついたんだよ。より親密な脚本になり、ユーモアも生まれるしね」(*1)
とカズンズは語る。『ヒッチコックの映画術』は、黄泉の国からヒッチコックが蘇り、自身のキャリアを振り返るという、破格の構成がとられているのだ。
『ヒッチコックの映画術』© Hitchcock Ltd 2022
しかも本作は、関係者へのインタビューがいっさい登場しない。『クエンティン・タランティーノ 映画に愛された男』(19)や『ジャン=リュック・ゴダール 反逆の映画作家(シネアスト)』(22)など、映画監督に焦点を当てたドキュメンタリー映画が最近立て続けに公開されているが、どちらも出演俳優たちが監督の人となりや現場でのエピソードを語っていた。1899年に生まれ、1980年にこの世を去ったヒッチコック。彼と仕事をしたことのある映画人がほとんど鬼籍に入っていることもあるのだろうが、それにしても大胆な挑戦である。
その代わりにインサートされているのは、カメラに視線を向ける若い女性のバストショット。5Gでスマホを使いこなす、ヒッチコックという名前を知らないであろうZ世代の若者だ。
「ヒッチコックは80年代に亡くなったが、もし彼が今ここにいたら?私は、彼に今の若者の気持ちを考えてほしかった」(*2)
マーク・カズンズは、過去ではなく現代と接続させることで、この偉大な映画作家の普遍性を浮き彫りにさせている。