2023.11.13
日本映画史における“事件”
おそらく『ツィゴイネルワイゼン』は、日本映画史におけるひとつの事件だろう。策士・荒戸源次郎が仕掛けたのは、東京タワーの下にドーム型移動映画館を設置して上映してしまおうという、前代未聞の試み。自前で作ったドームの空気圧の問題で、酸欠状態になって観客が倒れてしまったという逸話もアリ。だが単館上映としては異例の約10万人を動員し、ベルリン国際映画祭審査員特別賞を始め、日本アカデミー賞最優秀作品賞、キネマ旬報ベストテン日本映画部門の第1位など、国内外の映画賞を席巻。不遇の時を過ごしていた映画界の奇才は、いよいよ完全復活を遂げた。
この映画は、ドイツ語教授の青地(藤田敏八)と高等遊民の中砂(原田芳雄)が、サラサーテが演奏する「ツィゴイネルワイゼン」に耳を傾ける場面から始まる。そのレコードにはサラサーテ自身と思われる肉声が録音されているのだが、そのドイツ語が何を言っているのかは聞き取れない。その謎は何一つ解決しないまま物語は進み、此岸と彼岸の境界線がゆっくりと溶け始め、気がつけば観客もまた現実と夢のあわいに放り出されて、平衡感覚を失っていく。
『ツィゴイネルワイゼン』4Kデジタル完全修復版
生きているひとは死んでいて、死んだ人こそ生きているような。『ツィゴイネルワイゼン』は幽明界を異にしない。「怪奇映画ですからね、怪奇映画ってのは理くつがないんだよ。理くつを究明しちゃったら成立しないね」(*2)と鈴木清順が語る通り、理屈なんかどうでもいい。脚本を手がけたのは、日活ロマンポルノ最盛期の一端を担った田中陽造。鈴木清順を中心とする脚本家グループ具流八郎(ぐりゅう はちろう)の一人で、囲碁を打ちながら映画を語り合う近所仲間でもあった。彼は内田百聞の短編「サラサーテの盤」を下敷きに、ヒップでポップな幻想譚を創り上げる。
大楠道代のしなやかな身体にあらわれる斑点、鮮やかな赤が画面を支配するカニ、砂浜で殺し合いをする旅芸人、満開の桜、大量にちぎられたコンニャク、みずみずしい水蜜桃、「参りましょう」と手招きする子供。ひたすら五感を刺激し続ける、オブジェとモチーフの洪水。決して一つの線に交わらない点が乱暴にスクリーンに刻まれ、アッパラパーな映像絵巻が繰り広げられる。興行形態も型破りなら、コンテンツも型破りなのだ。