2023.11.13
<放散>するイメージ
日活というスタジオ・システムから離れてフリーランスとなった鈴木清順は、インディペンデントな環境でより自由闊達なタッチを獲得する。中砂を演じた原田芳雄は、<放散>というキーワードを用いて清純美学の本質を語る。
「(鈴木清順の映画は)凝縮しているんじゃなくて、むしろ一つ一つのシークエンスが拡散して飛び交うでしょう。で、あの映画は、放散したそれぞれのイメージがつながっていくわけです。そうすると、どこかで焼物の窯変みたいに、その中で起こったこと、スタッフワークから俳優の芝居も含めて、そこにトーンと出てきたものの中から、非常にイメージアップしていくというようなことがあって、今度それをつなげることにおいて全く予想外な変化がそこに起こってくる」(*3)
鈴木清順は、細部を厳密に管理するコントロール・フリークではない。むしろクリエイションの一部を他者に預けることで、斬新な表現を自らの作品に取り込み、拡張させていく。その結果、“放散したイメージを繋ぎ合わせることによる、予想外な変化”が生まれるのだ。例えば、縛られた格好の原田芳雄が砂丘で彷徨っていると、「ヒダラタラダシタラヒダラダシ」という呪文のような歌が流れる場面(自分でも何を言っているかよく分からないが、本当にそういうシーンなのだから仕方がない)。この曲は鈴木清順が用意したものではなく、原田芳雄に全部丸投げしたもの。主演俳優自らトーキングドラムや楽器を揃え、知り合いのミュージシャンに演奏してもらい、即興で歌っているのだ。
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鈴木は日活時代、主演俳優の小林旭にとても3歩では歩けない距離を「3歩で歩いてください」と指示を出したことがあるという。それは単なる意地悪ではなく、予想外な変化を生み出すための手続きなのだろう。清純映画において、イメージは収斂するものではない。それは単なる辻褄合わせだ。イメージが<放散>することで、決まりきったストーリーテリングの枷から解き放たれ、新しい表現が生まれる。それが彼が信ずる、娯楽映画なのである。
『ツィゴイネルワイゼン』は別に形而上学的でもなければ、小難しい映画でもない。この映画から放たれるイメージの奔流に、ただ身を委ねればいい。これは、奇天烈で色即是空な白昼夢ムービーだ。さあ、参りましょう。めくるめく幽玄の世界へ。
(*1)(*2)「清/順/映/画」ワイズ出版
(*3)「ユリイカ 鈴木清順特集」
文:竹島ルイ
映画・音楽・TVを主戦場とする、ポップカルチャー系ライター。WEBマガジン「POP MASTER」(http://popmaster.jp/)主宰。
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11月11日(土)、ユーロスペースほか全国順次公開
提供・配給:リトルモア 共同配給:マジックアワー