恋愛の隠喩
それでは、そんな本作が表現したかったテーマとは何なのか。本作でとくに重要となるのが、主人と奉公人それぞれの立場というモチーフと、あちこちに散りばめられた、性的なサイン、あるいは恋愛の隠喩になるだろう。これは、第二次性徴に差し掛かった少女の目を通した、成長の表現でもある。
植物の茎から滴り落ちる白い液体は、精液のようなイメージを喚起させ、ムイがそっと触る青パパイヤの白い種は、生殖のイメージを印象づけている。主人の小学生の三男は、ムイにわざと放尿する姿を見せつけ、幼稚で屈折した愛情を表現しようとする一方、ムイはムイで、家にたまにやってくる、長男のハンサムな友人クェンに淡い恋心を抱き、密かに彼の到来を待ち焦がれるようになっていく。このような描写が、彼女のたどる運命へと結びついていくのだ。
『青いパパイヤの香り』(c)Photofest / Getty Images
20歳に成長し、美しい女性となったムイを演じるのが、後にトラン・アン・ユン監督のパートナーとなり、彼の映画作品に度々登場することとなる、トラン・ヌー・イェン・ケーである。面白いことに、成長したムイは、おしゃべりでいろいろなことを質問していた子ども時代と打って変わって、ほとんど喋らない人物になっている。
ここで思い出すのが、中国の作家・魯迅の「故郷」という小説だ。これは、久しぶりに故郷に帰った男が、子ども時代によく一緒に遊んでいた小作人の息子で聡明だった友人の、すっかり卑屈な態度を取るようになった姿に衝撃を受けるといった内容。そこには、身分や環境によって、本来の人間性が変化させられてしまうという現実への、問題提起がある。
ムイは、20歳になっても蟻の営みを眺めるような、みずみずしい感性を保ちつつも、それを他人の前では見せず、必要以上の会話を避けるようになっている。彼女が仕える家の子どもたちは、それぞれやりたいことをやっているが、彼女には教育が与えられず、自分のなかの秀でた才能や感性を伸ばすことができないばかりか、家からも出ずに10歳の頃と同じ仕事を繰り返しているのである。