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『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』不器用な青春を照らす“音楽”という名の光 ※注!ネタバレ含みます。

© 押見修造/太田出版 ©2017「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」製作委員会

『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』不器用な青春を照らす“音楽”という名の光 ※注!ネタバレ含みます。

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シンプルを装ったマジカルな名曲『魔法』



 先述のように、〈しのかよ〉初のオリジナル曲となる劇中歌『魔法』の詞は、原作者の押見が自ら書いた。これにまつきあゆむが曲をつけた歌が、映画の中で演奏される。「加代が初めて作詞作曲した」という設定の『魔法』は、一聴しただけでは初心者らしい単純な楽曲に思えるかもしれないが、よく聴き込むとプロのクリエイターらしい思惑と技巧が隠されているのがわかる。


 初めて曲を作る加代なら、何度も演奏したお気に入りの既成曲を手本にして作曲するだろう――まつきはそう考えたはずだ。たとえば、『魔法』のAメロは『青空』のAメロに似せて作られている。ここから初歩的な楽典の話になるのをご容赦願いたいが、『青空』のAメロでは、【I―VIm―IV―V】という王道の循環コードに【IV―V】を足した伴奏に、歌い出しで根音(その曲の調で基本になる音。ハ長調であればCの音)が長く継続するメロディーが乗る。『魔法』のAメロも、【I―IonⅢ―IV―V】という循環コードのバリエーションに【IV―V】を足した伴奏で、歌い出しのメロディーは根音が長く継続する。



『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』© 押見修造/太田出版 ©2017「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」製作委員会


 あるいは、『魔法』の「でもどこへ行こう でもどこへ行こう」という歌詞の部分で【IV―IVm】と展開するコード進行は、『世界の終わり』のサビ部分で使われている。要するに、「〈しのかよ〉が路上ライブで演奏した2曲を参考にして、加代が『魔法』を作った」とさりげなく観客に感じさせるように、まつきがメロディーとコードを構成したということだ。


 ただし、『魔法』の作曲の全体がシンプルで初歩的かというと、決してそんなことはない。たとえば、「私は今すぐ帰りたい」の部分の、Ⅲmのコードを半音ずつ下降させる進行。あるいは、後半のリフレインでブリッジに下属和音をはさんでから長2度転調するアレンジ。これらは、ギター1本の伴奏と歌というシンプルな構成でありながら楽曲を単調にしないためのアクセントであり、ドラマチックに盛り上げるテクニックと言える。「加代が初めて作った曲」にしては上出来すぎるが、技巧を感じさせないさりげなさがまた絶妙なのだ。



『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』© 押見修造/太田出版 ©2017「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」製作委員会


 劇中歌の制作過程を振り返ると、原作漫画にあった『あの素晴しい愛をもう一度』とオリジナル詞のみの『魔法』に合わせて、世界観を共有するような既成曲3曲が選ばれ、これらの曲の演奏を経て加代が自作したと感じさせる『魔法』の曲が作られた。プロらしい工夫が注がれながらも、シンプルで自然なメロディーが魅力を放つこの曲はまさに魔法のようだ。いや、志乃と加代の不器用な青春の日々を、光のように美しく照らすすべての音楽が、『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』にかけられた魔法なのかもしれない。



参考資料

志乃ちゃんは自分の名前が言えない オフィシャルブック(しのかよパートナーズ編、太田出版刊)

映画「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」オリジナル・サウンドトラック(音楽:まつきあゆむ、レーベル:melodypunchrecords)

『コブのない駱駝――きたやまおさむ「心」の軌跡』(きたやまおさむ著、岩波書店刊)



文:高森郁哉(たかもり いくや)

フリーランスのライター、英日翻訳者。主にウェブ媒体で映画評やコラムの寄稿、ニュース記事の翻訳を行う。訳書に『「スター・ウォーズ」を科学する―徹底検証! フォースの正体から銀河間旅行まで』(マーク・ブレイク&ジョン・チェイス著、化学同人刊)ほか。



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『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』

新宿武蔵野館ほか絶賛上映中!

© 押見修造/太田出版 ©2017「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」製作委員会


※2018年7月記事掲載時の情報です。

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