2024.04.10
ゆっくりとさよならをとなえる
「私たちの中にはかつての小さな子供であると同時に、いまこの瞬間に大人であるという矛盾があるのです。」(セリーヌ・ソン)*
『パスト ライブス/再会』には、言葉の中に言葉以上にクローズアップされていく感情がある。言葉が主役にならない。ヘソンやアーサーの中には、お互いに対する恐怖や嫉妬心は確実にあるだろう。しかし彼らはそれを表に出して怒り狂ったりするようなことはしない。ヘソンとアーサーは大人の振る舞いをすることを自分に課しているように見える。ノラのことを尊重しているからだ。アーサーは自分との結婚が良い結婚であったことを証明したい。ヘソンには二人の仲を引き裂くつもりはない。少女時代の自分と戦っているノラも同じだ。ここで感情に流されるままに子供のような振る舞いをしてしまうことは簡単なことなのだ。セリーヌ・ソンは、自分の中の大人と子供の間からこぼれ落ちるものを掬い上げていく。だからこそ愛おしい。
『パスト ライブス/再会』Copyright 2022 © Twenty Years Rights LLC. All Rights Reserved
ニューヨークで再会したノラとヘソンが歩む背景を、煌びやかなメリーゴーランドが彩る。二人の記憶の走馬灯を表わしているかのような心に響く美しいシーンだ。二人の歩みは過去へ、かつての無邪気だった子供時代へと退行していく。そしてフェリーから見上げる、移民の国アメリカの象徴、自由の女神は、ノラの人生そのものとリンクしている。大きな橋が記憶の架け橋のように二人を見下ろす。傑作『ブルーバレンタイン』(10)の音楽を手掛けたグリズリー・ベアの二人がここでも素晴らしいスコアを提供している。記憶を退行するような二人の再会は、ノラがこれまでの人生で何を手放してきたかを表わしている。ノラは移民として生きる中で、いろんなものを手放さざるを得なかったのだろう。急激に大人にならざるを得なかったノラには、自分の中からいなくなった“少女”にさよならを告げる時間さえなかったのかもしれない。
『パスト ライブス/再会』は、心の中でさよならをとなえる映画だ。ノラによるソウルへのさよなら、ヘソンによるニューヨーク訪問へのさよなら、そして無邪気だった子供時代へのさよなら。筆者はこの映画のラストに嗚咽のように泣いてしまった。ゆっくりとさよならをとなえる。自分の人生を大きくしてくれたすべてのイニョン=縁に感謝したくなる。この映画はオーディエンスをハグしてくれると同時に、オーディエンスにハグされ愛されていくような傑作だ。
*Letterboxd [Missed Connections: Celine Song on Past Lives and future selves ]
映画批評。「レオス・カラックス 映画を彷徨うひと」、ユリイカ「ウェス・アンダーソン特集」、リアルサウンド、装苑、otocoto、松本俊夫特集パンフレット等に論評を寄稿。
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『パスト ライブス/再会』
大ヒット上映中
配給:ハピネットファントム・スタジオ
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