子役に対して嘘をつかない演出法
俳優が監督デビューを飾るとなると、「さて、お手並み拝見」と嘲笑じみた目線や無言のプレッシャーも強くあったはず。しかし彼女はブレなかった。何ら専門的な映画技術を学んでいなくとも、彼女には子役時代から撮影現場に立ち続けてきた確固たるキャリアがある。その間、観察眼の鋭い彼女は監督がどんな仕事をするのかを自ずと見て学び、大方のことは他の現場スタッフ以上に把握していたのである。
とりわけ際立っていたのは、やはり子役への対処の仕方だ。ジョディは共演者として、監督として、子役のアダム・ハン=バードと一緒に、共に嗜みのある空手をしてコミュニケーションを図り、演出の上では「嘘をつくこと」だけは絶対にしなかった。すなわち、何も状況がわかっていない子役からリアルな反応を引き出そうと「大変!!あなたのぬいぐるみが死んじゃった!」などと呼びかけることは一度として無かった。
『リトルマン・テイト』(c)Photofest / Getty Images
むしろ等身大の目線で「こんな”ふり”をすればいいのよ」とか「ほかの人の目から見て自分がどう見えるかを考えればいいのよ」と、主演のアダムが第三者の目で客観的に自己を見つめられるように促すことが多かったようだ。
一般的に子供時代といえば視野が限られ、怖いもの知らずで、自分中心に世界が回っているようにすら思えるもの。しかし本作における主人公フレッドの目を通した”見え方”は全く異なる。多くの知識と理解力を持つ彼にとって世界はあまりに広くて大きくて、自分の存在なんて実にちっぽけ。その上、先行きの見えない現状や未来について、無力感で押しつぶされそうになっている。
このスクリーンに焼き付けられた子供らしからぬ客観的な視座や孤独感は、ジョディ流の無理のない演出やアドバイスによって巧みに引き出され、結実したものと言えよう。